絵を代表する様式を示している。他方、ブリユツセル、サン・トメールおよびパリのマザラン図書館所蔵の写本(リストB16、B17、B18)それぞれの画家は、いずれも北部(広義のピカルデイ地方)の出身と筆者は考えているが、現時点では各人の他の作品を同定するのは困難である。ただし、これら3人の画家は、いずれも、北部との関連が示唆されている上記のモーガン図書館写本(リストA5)の第2の画家との聞に様式的な影響関係が認められることに加え、ブリュッセルとサン・トメール写本の画家に関しては、幾つかの特徴的な挿絵図像を共有している点が注目される。5.『13世紀フランス語聖書J写本の制作地・制作年代次に、写本の制作地・制作年代の問題を取り上げたい。これらを裏付ける奥付や史料が無い場合、制作地や年代は、主として挿絵装飾の様式分析を基に推定せざるを得ない。研究の現状では特定が困難な場合もあるが、各写本の制作地・年代のおおよその分布は、『13世紀フランス語聖書Jの初期の流通経路や想定された読者を探究するための手掛かりとなりうる(各写本の制作地・制作年代については、上記第3節を参照)。まず注目すべきは、1290年代までの比較的早い時期に、イングランドや南西フランス、あるいは東フランスなど、テクスト成立の地とされるパリから遠く離れた地域で、何点かの写本が制作されているという事実である(ケンブリッジおよびベルンの2写本)(リストA9、A7、B19)。また、パリの制作と考えられる何点かの初期の作例にも、北部(広義のピカルデイ地方)出身の画家が関与している可能性を考慮すべきであろう(モーガン図書館、ブリユツセル、サン・トメール写本)(リストA5、B-16、B17)。『13世紀フランス語聖書J写本が早くも1280年代にはパリ以外の地域でも制作されていたのに対し、『13世紀フランス語聖書』後半部を組み込むことにより遅くとも1314年にはパリで成立していた『増補版歴史物語聖書』は、1410年代に至るまでもっぱらパリで制作されている。パリの写本工房の活躍が『増補版歴史物語聖書』の急速な普及(14世紀初頭から中葉にかけて、約34点の作例を数える)を決定づけた一一特定の画家(工房)が10点前後の写本を量産している場合もあるーーと考えられるのに対し、『13世紀フランス語聖書』流通の初期段階にパリ写本工房が同様の積極的な関与を行った可能性は、現存する作例から判断する限り、相対的に低いと思われる。さらに、スネッドンによればパリ以外の地域で制作された写本のテクストも言語学的にはパリ周辺で用いられたフランス語の特徴を示すという事実は、写本テクストを476
元のページ ../index.html#486