入手する機会や経路が比較的限られていたことを示唆する。15世紀第1四半期まではパリ以外の地域からの需要にも対応できる供給体制を整えた書籍商(librairie)のもとで既製品を容易に入手できたと思われる『増補版歴史物語聖書』とは異なり、『13世紀フランス語聖書』はいわば受注生産されていたのではなかろうか。『増補版歴史物語聖書」についても、パリにおける量産体制が衰退した1430年代以降にパリあるいは地方で制作された作例は、その都度入手可能なモデルから個別に筆写されていた。これと同様の受注生産システムが、『13世紀フランス語聖書』普及の初期段階においても取られていた可能性がある。6.『13世紀フランス語聖書』における図像の伝播・交流ここまで、『13世紀フランス語聖書J写本挿絵の画家のレパートリーと、それに密接に関連する写本の制作地・制作年代が提起する問題点について、調査の結果得られた知見とそれに基づく現時点での筆者の見解を述べてきた。本節では、『13世紀フランス語聖書』に見られるある特異な挿絵図像が、画家の芸術的出自に関わる「地域的な」レパートリーにおけるテクストのジャンルを超えた交流・伝播を具体的に証言している例を考察し、『13世紀フランス語聖書』における図像構想のメカニズムの一端を明らかにしたい。問題となるのは、1280-1290年代イングランドで制作されたロンドン大英図書館ms.Add. 40619-40620 (リストA-6)の歴代誌上の冒頭に描かれたミニアテュールである〔図l〕。この挿絵は、テクスト冒頭のイニシアルAの枠内にはめ込まれた4個のメダイヨン内部に、寝台に横たわる男性の腹部から伸ぴた木の幹の先の蔓状の部分に3人ないし4人の男性頭部が固まれている様子を表す。これは、人類の祖アダムからイスラエlレの族長たちを経てキリストの祖先ダヴイデ王に至るまでの系譜を語る歴代誌上冒頭部(1-2章)と、エッサイからダヴイデ王を経てキリストに至る系譜を語るマタイによる福音書冒頭部の章句(1章116節)とを典拠とする、いわゆる「エッサイの樹」を表していると考えられる。ただし、伝統的な「エッサイの樹」図像とは異なり、この挿絵には、通常は歴代誌本文に言及が無くても慣例として描かれるキリストの姿が無く、また、族長たちが小型の全身像あるいは胸像ではなく、頭部のみがぶどうの房のように蔓の内側に囲い込まれた姿で描かれている。この特異な「エッサイの樹」図像の源泉は、写本挿絵芸術の分野において当時イングランドと密接な関係にあった英仏海峡対岸のフランドル地方に求められると思われる。大英図書館の聖書とほぼ同時代の、ゲント(ベルギー)で制作された詩篇集の詩-477-
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