鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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1300年頃同じくサン・トメールで制作されたいわゆる『ロスチャイルドの祈祷書』や7.結びにかえて篇第1篇官頭のイニシアルBを枠取りとする全ページ大のミニアテュール(オクスフォード、ボードレイアン図書館、ms.Liturg. 396, fol. 15v)〔図2〕は、細部に違いはあるものの、エッサイの脇腹から伸びる蔓に固まれて頭部のみに還元されたイスラエルの族長を描いている点、エッサイの樹の到達点とも呼ぶべきキリストが不在である点など、大英図書館の聖書挿絵に共通する特徴的な図像学的要素を有している。ゲントの詩篇集のミニアテュールに極めて類似した図像は、北フランスのサン・トメールで1347年に制作された『歴史物語聖書』(パリ、フランス国立図書館、ms.Fr. 152, fol. 467v)中に、通常の『増補版歴史物語聖書』とは全く異なる独自の仕方により挿入された『13世紀フランス語聖書』に由来するマタイによる福音書冒頭抜粋テクストの挿絵として再び登場する〔図3〕。ここでも、頭部に還元されぶどうの房のように蔓で固まれた旧約族長や、キリストの不在などの特徴が見られる。同様の図像は、ブルネット・ラティーニの『宝典』(Livredu Tresor)写本の挿絵などにも見出される。当時、英仏海峡をはさんで一つのまとまった文化圏を形成していたフランドル地方とイングランドに共通して見られるこの特異な「エッサイの樹」は、この地域に特有の図像レパートリーを枠取りとして、異なる画家そして媒体(『13世紀フランス語聖書』、『歴史物語聖書』、祈祷書、詩篇集、ブルネット・ラティーニの『宝典』など)の間での図像の伝播・交流を例証する。フランス語訳聖書が成立する以前のラテン語聖書の写本挿絵においては見られなかった極めて多様なテクスト間でのジャンルを超えた図像の伝播・交流、あるいは地域的なレパートリーの共有といった現象は、俗語訳聖書というそれ以前とは異なる受容層のために新たに生成しつつあった図像体系の一端を窺わせていると考えられる。『13世紀フランス語聖書』は、当時新たに台頭しつつあったラテン語の識字能力を持たない世俗の読者のために、同時代の他のジャンルの世俗写本とも積極的に図像レパートリーを交流させながら、普及していったと考えられる。その成立期から14世紀初頭にかけての写本の流通の形態は、14世紀以降パリを中心に爆発的な人気を博すことになる『増補版歴史物語聖書』とは異なり、かならずしもシステマティックな量産体制を整えていなかったと思われるが、それだけに、様々な地方で活躍した画家たちがその地域に特有の図像レパートリーを着想源としながら、しばしば個性的な図像を展開していったのであろう。14世紀以降普及する『増補版歴史物語聖書』と13世紀に-478-

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