4.ヨーロッパの三川内焼た19世紀の三川内焼の器種、器形、文様、装飾法について、その特徴を見ていきたいルパート美術館や大英博物館などでも所蔵されている〔図4〕。〈海外での評価〉明治期までの海外における評価の指標として、万国博覧会での出品歴・受賞歴をまとめてみた。明治6年(1873)、ウィーン万国博覧会では、受賞の記録は見当らないが、極彩色で六歌仙を描いた紅茶茶碗が好評を博した(注25)。有田の深川栄左衛門の求めで三川内の森利喜松が絵付したもので、高台内には金彩で蘭のマーク、上絵赤で「三川内森力造」の銘が書かれている。その一つが現在、ロンドンのヴイクトリア・アンド・アルパート美術館に所蔵されている〔図5〕。明治9年(1876)、フィラデルフィア万博でも、三川内焼は高い評価を得たという(注26)。明治26年(1893)、シカゴ万博において、龍加飾の壷で豊島政治が入賞(注27)。明治33年(1900)、パリ万博の美術部門で、豊島政治(注28)と中里森三郎が入賞(注29)。明治37年(1904)、セントルイス万博で、三川内陶磁器合資会社の磁器が銀メダル受賞(注30)。里見政七は、金メダル受賞(注31)。明治43年(1910)、ロンドンで開催された日英博覧会で、豊島政治が銀メダル受賞。(注32)などと続く。管見に触れる限りの資料から、年代順に海外での出品歴・受賞歴を抽出した。更に資料調査を進めることで、今後新たな事例が増えることが予想されるが、現時点の資料からは、三川内焼は1870年代以降に装飾技法の独創性を発揮して高い評価を受け、国際舞台で注目を浴びる存在になったと言える。ヨーロッパに現存する資料から、輸出された三川内焼の特徴を探るため、輸出され(注33)。〈器種〉まず器種についてであるが、器種全体に占める割合は、瓶、花瓶、壷、水注、香炉などの袋物が特に目立って多い。受皿付碗も多く、続いて皿や置物、文鎮などが見られる。日本における伝世資料や、窯跡からの出土資料では、碗、皿、鉢類など日常生活に密接なかかわりを持つ器形が圧倒的に多いのに対し、ヨーロッパではそのような484
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