鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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2.金の「聖エウスタキウス」プラハ駐在ヴェネツィア使節ソランツォが皇帝の死の直後の1612年3月5日にしたためた手紙によると、ルドルフのプラハの宮殿では、「三千をこえる」「古の、そして当代の有名画家の手による作品」が「幾つもの広問、あらゆる回廊や諸問を満たすだけでなく、多くのものが束にして包まれ、積み上げられてjいたという(注3)。実際、ルドルフ二世は「当代の」、つまり、存命中の芸術家の作品と並んで、「古の」、即ち、死去しでかなりの時を経た画家の作品も熱心に収集しており、そのコレクションにはレオナルドやルカス・ファン・レイデンなど16世紀前半に活躍した画家の作品も多く含まれていた(注4)。そして、「古の画家」たちの中でも彼がとりわけ執心したのがデューラーであった。現在、ルドルフ二世によって収集されたことが確実で、かっ同定しうるデューラーの油彩作品は〈ランダウアー祭壇画〉等9点にも及び(注5)、デューラーの絵画芸術の真髄を示す作品の大半がプラハに集められていたといえる。さて、先ほど紹介したアンドレーエの書簡に立ち戻ってみよう。その文面は、1612年の死去からすでに30年以上を経てもなお、ルドルフ二世がデューラーの熱心な収集家であったことが芸術通の間で語り継がれている様を努需とさせるが、アンドレーエの伝える逸話の信憲性をめぐっては、19世紀後半にA.パルチやJ.ヘラーがこの話を紹介した当初から疑問がもたれてきた。M.タウジンクは、オーストリアのキルヒドルフ在住の個人収集家のもとに、金で上塗りされ1579年の年記を持つ〈聖エウスタキウス〉の模刻の原板が存在することを報告しているが、ルドルフ二世の逸話については根拠のないものとし、この模刻原板との関係についてもそれ以上踏み込んだ論考を行っていない(注6)。アンドレーエの書簡を優れた独語訳で紹介したH.リューデッケらも、ルドルフ二世が〈聖エウスタキウス〉の原板を購入した話は他所ではみられないとし、また、近年のデューラー版画のモノグラフでも、17世紀前半の後刷の存在を示唆して、この逸話に対しては否定的な見解をとっている(注7)。果たして、アンドレーエの伝える逸話は事実無根のものなのであろうか。それとも、そこには何らかの歴史的事項が反映されているのであろうか。ルドルフ二世のデューラーに対する興味は油彩のみに留まらず、他のあらゆる分野の作品に及んで、いた。1607年から11年頃にかけて編纂された工芸品を中心とするルドルフ二世の美術品目録によると、ルドルフはデューラーの素描のみを収めたアルバムを2冊所有しており、1783年にウィーン宮廷図書館へ移管された際には各々186点、185点、計371点の素描がそこに含まれていたことがわかっている(注8)。この美術品目-505-

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