vhu ハu録には他にも、デューラーが幼少時に用いた銀筆用練習板、肖像や動物、町の風景の描かれた銀筆用の小型素描帳、フェンシングに関する一連の水彩素描、人体比例に関する草稿も記載されている(注9)。美術品目録中、我々の関心事であるデューラーの版画に関する項目は、次の三点である。「2707番様々な銅版画を収めた、羊皮紙に綴じられた王判の大型本。A.D.、ミケランジエロ・ボーナ、ラファエル・ダルビーニ、アンドレア・デル・サルト、フランチェスコ・ボローニャの全作品」「2709番羊皮紙の中型本にともに収められたA.D.の木版画および銅版画jこれらの記載によると、ルドルフ二世のコレクションには、少なくとも、デューラーの全銅版画とミケランジエロなどの複製版画を収めた大型の版画集が一冊、デューラーの銅版画と木版画を収めた版画集が一冊、デューラーとルカス・ファン・レイデンの銅版画を収めたものが一冊存在していたことがわかる。さらにこの目録を精査すると、デ、ユーラーの銅版画15作品については、デューラーの手による原板も記録されており、その中には、「A.D.アルブレヒト・デューラーにより彫られた鋼板。聖エウスタキウス」(注11)という項目もみられる。即ち、ルドルフ二世は、デューラーの銅版画〈聖エウスタキウス〉を版画集に収めるだけでなく、銅の原板も所有していたことがここに確認されるのである。それでは、アンドレーエが語るように、ルドルフ二世の手元にあった〈聖エウスタキウス〉の原板は、実際に金で上塗りされていたのであろうか。残念ながらこの原板は現存しないが、目録に金での加工を示唆する記述は全くみられず、また、先述のように、17世紀以降の後刷も数点確認されることから、デューラーの手によるこの原板自体に金による加工は施されていなかったと推測される。一方、タウジンクが報告した1579年の年記のある金で塗られた模刻の原板については、それ以降、等閑視されてきたが、近年、「デューラーの家jがオーストリアの個人コレクションから購入した〈聖エウスタキウス〉の模刻原板〔図2〕が、実は、タウジンクの指摘した原板に該当すると考えられる。「デューラーの家」の模刻原板には、デューラーのモノグラムは付されているもののそれ以外の署名はなく、模刻者の同定はされていない(注12)。寸法はオリジナルの原板とほぼ同じ、左右は反転しているも「2726番A. D.とL.レイデンの銅版画」(注10)
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