鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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両腕にテイラーズ・バンド(注20)と呼ばれる腕章をした姿で登場する。13世紀にバグダードで製作された『マカーマート』(パリ、国立図書館、Arabe5847;サンクト・ベテルスブルグ、東洋学研究所、MS.S23)などの写本にも、しばしば同様の腕章をつけた人物が描かれている(注21)。衣文の表現については、僅かな違いがみられるものの、細密画家A・B共にしわの部分に絞り文様のような強調を加えている。この点に関しては、再び13世紀アラブ絵画と相似するが(注22)、メソポタミア地域に限らずモスル地域で製作された写本、例えば1220年代に製作されたシリア語聖書写本までその起源をたどることができる(注23)。全体として服装表現に著しい中国の影響をみることはできないが、いくつか面白い点がある。ほとんどの玉座の場面で、支配者はカフタンではなく、左あわせのモンゴル服姿で登場し(注24)、中でもf.104v〔図8〕で見られる胸元にバッジがついた服は、明・清代の礼服同制引を連想させる。中国ではこの様な正方形のバッジが、記章としてではなく単なる装飾品として元時代にすでに流行していたようであるが(注25)、どのような経緯を経てイル・ハーン時代に西アジアで知られるようになったのか、実際にこのような衣服がどれだけ普及していたのかは、想像の域を超えない(注26)。服装表現に関して特に目をヲ|くのは、「受胎告知」(f.14lv)の場面である〔図12〕。この図像はピザンテイン写本に依拠しているとの説が有力であるが(注27)、着想を得た後かなり修正が加えられた様子がうかがわれ、服装表現に関しては、明らかにヒザンテインよりも広義で言うところの東アジアの特徴を多く備えている。天使ガブリエルの服装は、衣文とテイラーズ・バンドを除けば、決定的な模範を限定できないまでも、光背につながる飾りリボンを持つイメージを仏画や仏典の挿絵から見つけることは難しくない〔図13〕(注28)。実際、モンゴル統治下のイランでは仏教も広まり、一時期かなりの支持を集めていた状況を考慮すると(注29)、僧侶がもたらしたであろう仏画や挿絵入りの仏典から浮遊するリボンなどの仏教イメージが伝わり、イスラーム国教化以後も暫時そのイメージがイル・ハーン領内に残存していたのかもしれない。マリアの服装は慣例通りの配色であるが、そのベール姿は東洋色を垣間見せ、相似した東アジアあるいは中央アジアの例と比較することができる(注30)。なにより決定的なのは、ガブリエルとマリア双方共に東洋人の容貌を持つ点であろう。建築も基本的に中近東設定である。例えば、「受胎告知j〔図12〕の場面では、マリアはアラビア文字の装飾が施されたポイント・アーチ型の建物に固まれ、クッション型王座に腰掛けている(注31)。一方、室内装飾の中では、所々で施された蓮文様を東アジアの影響として考えることができるが〔図14〕、その出所をこの文様の複雑な変遷44

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