鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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教徒のものも含めた複数の私的地下墓所が、後代、おそらく18世紀以降のカタコンベが再発見された頃に、何らかの理由で接続されたものであるという。このカタコンベのヴィピア地区〔図1〕に存在する、サパツィオス教の信奉者ヴイピアのアルコソリウム(アーチ型壁寵墓)を飾る壁画(注5)に、問題のヘルメス像が登場する。このアルコソリウム内部のリュネッタ(奥壁)には、古代異教世界において人気のあった、死後の世界を示す華やかな楽園表象の一場面が、賑やかに展開されている〔図2〕。そこでは、今しがた冥界に通ずるアーチ門を入ったばかりの故人ヴイピアが、トゥニカとバリウムに身を包んだ「善き天使」(angelusbonus)によって手を引かれながら、画面右側、冥界の楽園で愉しそうに催されている会食の席に導き入れられている。アルコソリウムのヴォルト内部の画面は、赤と緑の二重線によって三分割され、右手には、サパツィオス教の七人の祭司による食卓風景が描かれている。一方、ヴォルト内部左側の画面には、故人ヴィピアを抱えた冥界の支配者ハーデスが四頭立ての馬車に乗って描かれ、そこに、馬車を先導する御者役として異教神ヘルメスが登場している〔図3〕。さらに、ヴォルト内部・天頂部の画面には故人ヴィピアの審判場面が描かれており、冥界の支配者として玉座に着くハーデスとその后ベルセポネーの前で、まるで、ヴィピアの弁護人のように彼女に付き添うヘルメスが再び登場している〔図4〕。このアルコソリウムの壁画には、馬車の場面が示す死者の魂の旅立ちに加え、魂の冥界への入城、魂の審判、冥界の楽園、その楽園で行われる愉しい会食といった、古代異教世界の葬礼美術において典型的な、死後の世界の図像サイクルを確認することができる(注6)。さて、初めに記したように、このアルコソリウムの壁画は、今日、キリスト教カタコンペの内部に存在しているにもかかわらず、そこに埋葬された女性ヴイピアは異教徒であった。従って、そのようなヴィピアの墓に、異教的神話的図像主題が描かれることに何の問題もない。しかし、筆者はここで、ヴィピア地区における被埋葬者の帰属宗教が示している多様性に注目したい。4世紀中頃に形成されたと考えられるこの地区では、先のサパツィオス教の信奉者であったヴィピア夫妻の他にも、複数のミトラ教祭司の墓が確認されている(注7)。しかもそれらは、短い一本の地下通路沿いに、まさに隣接するかのように密集して存在している。たとえば、ヴィピアの墓と僅かlm幅ほどの通路を挟んで、存在する、別のアルコソリウム内部の漆喰上からは、明確にその職名を記したミトラ教祭司アウレリウスの碑銘が発見されている(注8)。そして、驚くべきことに、このような異教徒の墓がひしめく同じ通路沿いの墓室からは、数多-539-

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