鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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過程の中から追及することは容易で、はない(注32)。家具の描写の中では、図8に見られる中国風の朱塗りの玉座が特徴的で(注33)、宋代の玉座を連想させる〔図15〕。この様な玉座が実際イル・ハーン宮廷内で使用されていたのかどうか、興味深いところである。この様に、服装・建築・家具と中国美術の影響は風景表現に比べてその全体像を掴み難いが、反面折衷様式の面白さを浮き彫りにしている。おわりに本稿ではビールーニー写本の挿絵における中国美術の影響問題を検証し、併せてこの写本のペルシア絵画史の位置付けを確認した。むろんこの小論で参照した中国の例は絶対的なものではなく、これ以外にも様々な解釈が可能で、あろう。しかし、この研究が中国美術の西アジア伝来に関する考古学的資料の不足を補い、今後の研究の突破口になると期待している。ビールーニー写本に見られる様に、中国美術の西漸は大いにモンゴル時代のイランの細密画家達を刺激し、新しい様式を確立すべく試行錯誤を繰り返したであろうが、摂取・総合の段階に新展開が訪れ、最高点に達するのは1314年に製作されたラシード・ウツデイーンの『世界史』(エデインパラ、エデインパラ大学図書館、MSArabic 20;ロンドン、ハリーリー・コレクション、MS727)とドゥモッテ本として知られるフェルドゥスィーの『王書j(1335頃)と言われている(注34)。しかし、この二大作品と同様、ビールーニー写本の魅力、つまりは諸様式の折衷・融合が見る者を引きつけ、19世紀に西洋に渡るまでの数百年間の激動の時代を生き抜き、またこの写本の挿絵の特異性が17世紀オスマン朝時代に版を重ねる際にも認められ(注35)、エデインパラ版の挿絵がそのまま模倣されたこと強調して、本稿を締めくくりたい。j主(1) この写本の挿絵に関する主な研究は、T.W. Arnold,“The Caesarian section in an Arabic manu-script dated 707 A. H.ぺinT. W. Arnold and R. A. Nicholson (巴ds.),A Volume of Oriental Studies Presented to Edward G . Browne, Cambridg巴:CambridgeUniversity Press, 1922, pp. 6 7 ; idem, Survivals of Sasani抑制dManichaean Art in Persian Painting, Oxford : Oxford Univer sity Press, 1924, pp. 19 22, figs. 16 17 ; M. Ashraful Hukk, H. Ethe and E. Rob巴rtson,A De-scriptive Catalogue of the Arabic and Persian Manuscripts in Edinburgh UniνersiηLibrary, H巴rt-ford : Steven Austin & Sons., 1925, pp.136 7 ; T. W. Arnold, The Old and New Testaments in Muslim religious Art, London : Oxford University Press, 1932, p. 15, 21-2, 35-6, pls. N, 45 -

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