鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
551/592

3.キリスト教徒の墓のヘルメス像サン・セパスティアーノのカタコンペ:墓室NR. 5 (注12)ヴィピアのカタコンべでは推測の域を出なかった、異教的な魂の同伴者ヘルメス像とキリスト教徒一般信徒との親近性が、サン・セパステイアーノのカタコンベ第一層部、サン・フイリッポ・ネーリ地区〔図5〕に存在するひとつの墓室に描かれたヘルメス像によって、より確実なものとして理解される。このヘルメス像を含む壁画〔図6〕は、墓室の奥壁上部に掘られた一基のロクルス(棚型墓)を覆う白漆喰の上にフレスコ技法で描かれたもので、画面は赤と緑の二重ラインによって三分割されている。画面中央には、一匹の羊を肩に担った羊飼い、いわゆる善き牧者像が岩の上の大きな羊とともに件んでいる。画面左には、大きく輝く星のもとに、ダルマキアと呼ばれる長衣を身にまとった、女性(おそらく被埋葬者)が両手を広げた、いわゆるオランス像として描かれている。そして、画面右側に裸体の異教神ヘルメスが、左腕に掛けたマント、杖と三角形の袋、さらに頭上の羽根付き帽といったお決まりのアトリビュートを携えて登場する〔図7〕。このヘルメス像めぐっては、発見以来、長年にわたって様々な解釈が提出されてきたが(注13)、1996年、筆者が、教皇庁考古学監督局の協力のもとに行った壁面洗浄修復をともなう研究調査により、それが、上記のように、異教の神ヘルメスであることが、ほほ間違いないものとして特定された(注14)。また、同時期に行った地誌学的調査(注15)によって、ヘルメス像が描かれた墓室とその周辺空間は、本来、共同墓地からは完全に独立した、キリスト教ファミリーの私的地下墓所として、4世紀後半頃に発生し、それが、後の時代に、近接していたカタコンベ本体に、地下通路の接続工事を通して取り込まれたものであることが明らかとなった(注16)。このような近年の新たな研究調査の成果から、次のような図像への再考察が導き出される。すなわち、この私的地下墓所を担っていたキリスト教徒は、まず第一義的に、すでに当時のキリスト教葬礼美術の中で極めてポピュラーな救済の記号として機能していた、善き牧者像とオランス像の二つの図像を選択した。こうして、「救済者キリストと救済された者jというキリスト教的救済の定式(注17)を描き出し、この墓に埋葬された故人である女性が、すでに天上の牧歌的楽園において、安らぎと至福のうちに存在していることを希求した。しかし、同時に、注文主は、キリスト教共同墓地では決して描けなかったはずの異教神ヘルメスを、さらに、故人の魂の二次的守護神として要請する。故人の魂が、天上の楽園へと確実に到達するように、魂の同伴者としてのヘルメスに委託することで、故人の安らぎと至福を重ねて保証したのである。先-541-

元のページ  ../index.html#551

このブックを見る