鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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にヴイピアのカタコンベで見たように、古代世界の人々に長く慣れ親しまれた魂の同伴者の記憶は、キリスト教が公認宗教となった後も、決して容易く拭い去れるものではなく、4世紀後半のキリスト教一般信徒のうちにも、おそらく民間信仰的レヴェルにおいて未だ深く息づいていたのではないか。このように、サン・セパスティアーノのカタコンペに見られる異教神ヘルメス像は、ローマのキリスト教徒が、これまでの伝統的理解をさらに超えるほどの、異教的親和性を有していた可能性を示唆している。4.キリスト教徒の墓のヘルメス関連図像ーヴイア・デイノ・コンパーニの地下墓所:墓室F(注18)最後に、ヘルメス像の姿は特定されていないものの、異教的葬礼美術において、この異教神との深い関わりが指摘されるひとつの図像主題について、今回の現地調査と考察によって得た新たな解釈の可能性を記しておきたい。それは、ラティーナ街道沿いのヴイア・デイノ・コンパーニの地下墓所〔図8〕・墓室Fの壁面に描かれたもので、扉を出入りする人物像をもっ壁画である〔図910〕。この地下墓所は、1955年、ラティーナ街道沿いの住宅街のー画から、アパートの建て替え工事中に突如発見されたもので、その内部は、一般に「地下の美術館」と賞賛されるほどに豊かな図像装飾で埋め尽くされている。その後の研究成果から、この地下墓所は、キリスト教を含めた宗旨宗派を異にする複数の家族、もしくは、宗教以外の何らかの関係で結ぼれた人々によって使用されていたものと考えられている(注19)。問題の壁画が描かれた、楕円形プランに近い形状を示す墓室Fは、内部に三基のアルコソリウムを備えている。これらのアルコソリウムは、それぞれ、「井戸の傍らで対話するイエスとサマリア女」(ヨハネ福音書4: 5 8)、「櫨馬の胞骨でペリシテ人を殺すサムソン」(士師記15: 15)、「パーラムと天使の出会いJ(民数記22: 22-27)という、聖書主題の壁画で彩られ、この墓室が、明らかにキリスト教徒の埋葬用に使用されたものであることを示している。問題の扉場面は、これら三基のアルコソリウムの聞の壁面に描かれており、向かつて左側の場面は、聞かれた扉からサンダル履きの一人の男性がこちらに背を向けた姿勢で、一歩踏み込みながら扉の奥に出て行こうとしている〔図9〕。一方、向かつて右側の場面では、同様に半聞きにされた扉の隙聞から、明らかにサンダル履きの足を大きく踏み込みながら、こちら側に入って来ようとする一人の男性と、さらにその背後に、顔と左足のみが描かれたもうひとりの男性像の存在が確認できる〔図10〕。-542-

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