鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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コンデ・グエッリや晩年のフェルーアは、この扉場面の解釈の可能性を、同じ墓室のアルコソリウム装飾に二回出現するサムソンの物語との関連から推測し、「ガザの城門を破壊するサムソンJ(士師記16: 1 -3 )ではないかと考えた(注20)。一方、日本人研究者として早くからこの壁画に注目し、詳細な研究考察を提出した辻佐保子氏は、主に異教の石棺レリーフに頻出する「ハーデスの扉jとの類似性を検証しながら、そこには、この「ハーデスの扉」を通って生還する死者や神話人物のテーマと同じく、死者の「復活」や「再生」が描かれていると考えた(注21)。ところで、1997年、教皇庁考古学監督局によって、この墓室Fの壁画修復作業が行われた際に、墓室左側の扉場面に関して、扉の隙間奥の漆喰上から、扉から出て行く一人の男性像とは別に、一人の男性オランス像の下絵が発見された(注22)。修復作業を監修したピスコンティーの所見によれば、これは、キリスト教カタコンベ美術においても一般的な、死後の世界ですでに安らぎのうちにある故人を表わすオランス像であるという(注23)。ピスコンティーは、このオランス像の下絵の存在から、墓室に見られるこつの扉場面は、壁画の制作当初から一般的な葬礼美術図像のコンテキストのもとにあったと考え、アルコソリウム内に描かれた聖書主題中心の図像グループとの関連性を排除し、結果、扉場面をサムソンの物語の一場面とする解釈を退ける。ピスコンティーの新たな解釈によれば、この扉場面には、古代末期の葬礼美術で好まれた死後世界の楽園表象に関するひとつのヴァリエーション、すなわち、「永遠の住家」と「至福の楽園」の聞を行き来する故人の姿が描き出されているという(注24)。このように、近年の壁画修復を通して明らかとなった新事実は、この扉場面の解釈をめぐる問題をより先鋭化している。すなわち、この壁画は、少なくとも、キリスト教的聖書主題からではなく、非キリスト教的葬礼美術の図像主題から考察されるべきものである。筆者は、先のヘルメス像の存在を通して検証したような、私的地下墓所における異教的死後世界の表象との親和性は、問題の扉場面に関しても同様に、異教的解釈の可能性を十分に示唆しているものと考える。すなわち、この墓室Fでは、三基のアルコソリウムという主たる埋葬施設を、明らかなキリスト教聖書主題が彩る一方で、墓のない二次的装飾空間には、今なお彼らにとって捨て難い、典型的な異教的葬礼図像のひとつであった扉場面が、故人の安全な「冥界への旅立ちjや冥界の楽園への「導き入れJを示唆するものとして描かれているのではないか。そのように考えると、問題の扉場面のうち左側に登場する二人の人物像に、ヘルメスや善き天使のようなプシュコポンポスに伴われて、冥界の楽園へと導かれる故人の姿を見ることも可能かもしれ-543-

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