ない。墓室の三基のアルコソリウムに描かれたキリスト教主題が、世俗的な葬礼的意味内容からかけ離れた、純粋な聖書主題であるだけに、筆者には、逆に、この異教的葬礼主題の存在が、キリスト教一般信徒の墓室においても、重要な意味内容を補完する役割をt旦っているように思えてならない。まとめローマのキリスト教地下墓所で行った現地調査は、とかく壁画図像の解析に終始してしまいがちな狭義の美術史的研究アプローチに、墓室や地下墓所全体の考古学的・地誌学的考察を加えた多角的研究を可能にするものとして、大変意味深いものであった。今回の研究調査の中心テーマであったヘルメス像とその関連図像の再検討は、あらためて、4世紀のローマにおける私的地下墓所が、これまで考えられていた以上に、異教的壁画図像との強い親和性を示していることを再認識させるものであった。故人の魂を死後の世界へと安全に導くプシュコポンポスの姿は、一方においては、異教的神話的属性の強い表象でありながらも、いまだ多様な宗旨宗派が共存する、4世紀という時代を生きたキリスト教一般信徒の傍らにも、おそらく民間信仰的な親しみのうちに、確実に存在していたに違いない。キリスト教私的地下墓所の図像主題は、むしろ、そのような古代末期に生きたキリスト教徒の異教的表象との親和性を素直に証言しているのである。西欧初期中世の美術』小学館、1997年、351〜352項。(l)私的地下墓所については以下の文献を参照:P.TESTINI, Le catacombe e gli antichi cimiteri cristiani in Roma, Bologna 1966, 79-81 ; L. REEKMANN,“SpatrりmischeHypogea”,Studien zur spiitantiken und byzantinischen Kunst JI, Bonn 1986, 11 32. (2) F. BISCONTI,“Memorie classiche nelle decorazioni pittorich巴dellecatacomb巴roman巴.Cotinuita grafich巴巴variazionisemantiche , Historia pictura refert. Miscellanea Recio Veganzones, Citta de! Vaticano 1994, 38-39. cano 1993. (4) ヴイピアのカタコンベについては以下を参照:C.CECCHELLI, Monumenti cristianトereticidi Roma, Roma 1944, 167 180; A. FERRUA,“La catacomba di Vibia”,Rivista di Archeologia Cristiana = RivAC 47 (1971) 7 -61 ; id.,“La catacomba di VibiaぺRivAC49 (1974) 131-161 ; J. ENGEMANN,“Altes und Neues zur B巴ispielender Katakomben-bild巴r",Jahrbuchβir Antike und Christentum 26 (1983) 146 148. (5) NESTOR!, op. cit. 100 101. (3) NR = A. NESTOR!, Repertorio topografico delle pitture delle catacombe romane, Citta d巴lVati (6)宮坂朋「聖堂装飾プログラムの発生と展開j:辻佐保子(責任編集)『世界美術大全集・第7巻一-544
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