鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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2.日本の出品物に対する評価について年3月1日には日本国内における展示において、天皇、皇太后の縦覧の記事を載せ、ウィーン万国博覧会であった。また、その出品の品揃えも多岐に渡っている。ウィーンの万博事務局が提示した出品物分類表にあるすべての項目を埋め尽くそうという勢いである。日本全国から品物をそろえると同時に、衣食住のあらゆる物品、仏壇や神殿に至る宗教用品、あるいは、工芸美術品、庭、おそらく、思いつく物はすべて持っていったと考えられる。この方法によって、ヨーロッパ人が日本のどういうところに目をつけるのかが読めるわけだ、。これは実に戦略的である。このウィーン万国博覧会の結果はストレートにフィラデルフィア博に応用される。以降の博覧会の出品は効果的にターゲットを絞ったものとなっていった。開国したばかりの日本にとって、すべてはわからないことばかりである。欧米をどう見たらいいのか、あるいは日本は欧米からどう見られているのか、まずはそこに探りをいれる博覧会であったと位置づけることが出来ょう。日本を紹介すべく博覧会事務局は日本全国から様々な物産を集めた。当時の出品物目録の草稿をみると、オーストリアの博覧会事務局が公表した出品物の分野別分類項目を可能な限り埋め尽くそうという努力が伺える。また、日本庭園や、即売などの思い切った試みを行っている。しかし、諸外国は当時の最先端技術や、トルコやインドなどの大きな貿易の対象国への関心の方が高く、現地における様々な報道においては脇役と言って良いであろう。しかし、欧米の舞台へデビ、ューした日本を西欧は好意と期待とをもって受け入れた。前評判も高く、数少ない記事から拾っていくと以下のようなものがある。NeueFreie Pressel873年1月5日の記事では、前回のパリ博では屋台的な日本が今回は産業から芸術まで、原材料から最高級品までシステム的に展示をやる予定である、といった内容を記している。オーストリア万博事務局の出す新聞Wie目ner Welt-ausstellung Zeitungも、1873年1月11日の記事で日本の準備状況を報じ、1873ミカドがお褒めになったことを載せている。こういった中に日本が欧米諸国との貿易の舞台へ進出してくる事への期待感が表れているように思われる。庶民の目からすれば、難しいハイテクノロジーの展示よりも一目で美しいとわかる日本の工芸品は人気を博したようである。特に付属庭園の売店で、売った様々なグッズは飛ぶように売れた。また、巨大な金慨はウィーンでも話題であったのか、AllgemeineIllustrirte W eltausstellung Zeitung 9月28日号の一面を飾っている。「DerSchatschihoko, Japanesischer Fisch. Jとキャプションがつけられている。最後に、オーストリアの博覧550

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