鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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3.ジヤボニズム貿易、伝統の誕生会事務局の報告書であるOFFICIELLERAUSSTELLUNG BERICHTには、「青年期のバロック的な展示」と評されている。では、個々の展示品についての評価はどうであったのであろうか。まだまだどのような評価があったか網羅的に見られるほど調べてはいないが、たとえば、第十一区(GRUPPE 11)は是正についての項目を、OFFICIELLERAUSSTELLUNG BERICHT GRUPPE 11で見てみるだけでも面白い。これは博覧会の審査員が評したものと思われる。まず、日本の和紙が丈夫であると言っている。障子、装飾、ちり紙といったように様々なものに使えることが述べられている。紅茶茶碗などに利用し、熱い物をいれでも大丈夫であるということが述べられている。また、その製法についてはあまり伝わっていなかったようであり、日本の製紙法を中国の製紙法から予測しているようである。一方、第十一区二類(GRUPPE 11 SECTION 2 )は壁紙の項目である。ここでは、紙にデコレーションするということでは見るべき所はないと言い切っている。ここで言うデコレーションとはおそらく紙の表面にエンボスを施すなどの加工技術のことを言っているのではないだろうか。ただし、染色という面では非常に優れていると評している。その後に紙にまつわる文房具の話として日本と中国の墨の話が記されている。ここでは、中国の墨の製法は未だ秘伝になっているので日本の墨の製法から予測している。そして、日本の墨は中国の墨にやや劣るということを述べている。ウィーン万国博覧会以降、様々な形で日本の製品がヨーロッパへ渡った。ヨーロッパでジヤボニズムが発展した背景にこういった貿易があったことはだれも否定しないだろう。日本とヨーロッパの貿易の歴史をさかのぼれば、古くは江戸初期までさかのぼることが出来る。つまり、1600年代からオランダのレオン貿易によって日本の工芸品、美術品はヨーロッパに輸出されていた。とは言っても貿易は幕府の厳しい統制下にあり、積極的に日本がヨーロッパへ売りに行ったのではなく、ヨーロッパから日本に買い付けに来ていたという形態である。日本が商社を設立し積極的にヨーロッパに向けて美術品、工芸品を発信しようとした試みは1874年設立の起立工商社が初めてと言って良いであろう。起立工商社の最初の任務はウィーン万国博覧会の展示品の売却であった。この商社は明治政府と三井銀行で出資し、博覧会に参加した若井兼三郎と松尾儀助が中心となり設立した、いわば-551-

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