れ、宿屋の前に人垣が出来た話は、昨夢録にもある。博覧会が始まると、日本の品物は人気が高く、夜間の売店に泥棒が入り竹を三四十本盗まれた話がある。しかし報告者は、日本の品物は珍しがられるが、西洋人にとっては玩具であり、本当に必要な日用品ではないことが残念だと締めくくっている。しばらく聞があき、12月3日には、オーストリア在住の人からの報告として横浜在住のフランス人が日本の若い婦人を三人連れてウィーンに渡り、博覧会会場で日本風茶店を開くことを企てた記事がのっている。この記事ではまだ途中経過で、「談判中の山なり。jとあるが、昨夢録では日本在住のオーストリア人が問題を起こしたことになっている。算術を習ふ心にならず却て己れを害する器なる故無益と思わる併し」とある。続いて様々な機械の便利さについて述べているが、一方でその種類の多さなどにも言及し、機械に振り回される問題もあることを述べている。欧米人も開化の行き過ぎることに警告を発しているとのことである。紡績機械についての記述では、機械を導入することを一応は肯定しながら、現在の手織をいっそう発展させることの重要性、西洋の模擬ではなく日本品と分かる織りが重要だと言っている。くの絹製品を売却したことを報じている。年が明けて明治7年1月20日は、海外新報の欄にパリの東洋集会において中国、日本の国語と工芸について論議があったことを報じている。商業のみならず外国と交流を深めるためには国語、および学問の交流が必要で、あるというのがその結論である。そのため、イタリア、ベニスの商業学校に日本語教師をおくことになったと書かれている。そのほかにもイタリアと日本、中国の聞に汽船を走らせるなどの方策が講じられることになった。この処理のため、佐野常民はイタリアに派遣されるとある。昨夢主主にあるイタリアキ己行こである。書かれている。博覧会全体を見回すと、品物の売れ行きははじめは良かったが、その後は次第次第に売れなくなっていたとある。そのなかで中園、日本、トルコはよく売れたとある。続いて、各国の売り方のお国柄が書かれている。オーストリアは実力以上に大きいことを目指したために一番損失を出したとあり、また、フランスは懇切丁寧な売り方が人気を博し、この不況を乗り切ったようだ。イギリスは安物を出さず、高額ながら質の高い物を出し、アメリカ人は高度な技術の製品を陳列したが、売り物12月15日、博覧会に出品された寄せ算の機械に付いて「去連無算者に充がへば終身12月27日、日本が博覧会官員の晩餐会を聞いたことを報じている。また、中国が多2月9日、海外新報の欄に「ウヰンナ府博覧会結局」とあり、各国の売店の様子が-555-
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