に関してはちゃっかりと他国の売れる物を売って儲けたようであるとある。暗黒の金曜日について直接は書かれていないが、その影響が各国に出ていたようである。3月28日、「伊豆の国より来状に云く本月二十日の夜間国妻良にてフランス船一隻沈没せり」ウィーン万博の出品物、ヨーロッパにて購入してきた様々な物資を積んで香港を出発したフランス郵船ニール号の沈没の報道である。報知新聞の記事を引用し、フランス軍艦ボーレン号と衝突したと書かれている。21日に伊豆に泳ぎ着いた一人の乗組員によって事件が公になった。この事件は、行方不明55名、死者31名の大惨事であった。生存者はわずか3名であった。この事件の直後、金の慨がこのニール号に載っており、一緒に沈没したというちまたの噂が流れたようである。実際には、積み荷は二便に分割され輸送されており、金の慌はもう一方に積まれていた。しかし、ニール号の沈没により積み荷の損害も大きかったことは事実である。1874年の3月1日より開催される事になっていたヨーロッパで、の購入品の展覧会で、は、出品出来なくなった部分を急逮、博覧会事務局の個人用に持ち帰った品物で埋め合わせすることになった。ニール号の積み荷の一部は、その後引き揚げられ東京国立博物館に収められている。この展覧会を見た日本人たちはなにを考えていたのであろうか。鉛筆やガラス製造技術、建築などを伝習してきた人々には、それぞれの立場から「開化Jという未来が見えていたのだろう。博覧会に並んだ品々は、一般庶民を魅了したことは事実であろう。しかし、鉄道が通ったこの時勢でも、藤沢に住む人々が東京へ行く時には、今まで通り歩いていくのが一般的だ、った。「巨大化」が庶民のものとなるまでには、今しばらく時聞が必要であった。556
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