鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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(1) 外国人研究者招致II .「美術に関する国際交流援助」研究報告1 . 2002年度援助① ベラスケスとイタリア期招致研究者:ニューヨーク大学美術研究所キャロル&ミルトン・ベトリー美術教授報告者:早稲田大学文学部教授大高保二郎間:2002年5月4日〜5月16日(13日間)美術史学会東支部との共催により早稲田大学で行われた講演会「ベラスケスとイタリア」は、新たなる資料発掘がほとんど不可能となりつつある第一次イタリア旅行の意義に関して、新しい見方と解釈の可能性を提示した点において極めて有意義なものであった。以下はその要旨である。17世紀のイタリア以外の国々の画家にとって、イタリア旅行(美術の研錆)が必須ではないにしろ、望ましい修業体験であったことは事実である。すでに16世紀の終わりまでにイタリアの芸術文化はローマの古典古代も含めて、比類のない価値と地位を獲得しており、成功や名声を望む画家ならば、イタリア美術の規範と実践に通じていなければならなかったという情況が成立していた。こうして西欧絵画のイタリア化、つまりは「イタリア絵画の自国化」という現象が広く認められるようになっていく。幅広く美術の研讃を目的としたベラスケスの、イタリアとの出会い(第二回のそれは、ブラウン教授によれば、王室コレクションのための作品購入という特命を帯びた“イタリア出張”にすぎなかったとされる)は、17世紀の美術の歴史におけるもっとも非凡な例の一つであった。しかし、16ヶ月間という、当時としては異例に短期のこの旅行において、ベラスケスの芸術は何が変わったのであろうか。寡黙で節度ある画家ベラスケスは滞在中、何かイタリアとの具体的交流を明かす一次資料を残していない。従って、いくつかの外交文書と岳父パチェーコが『絵画論』に記した略伝、そして確実にこの旅行中の作とされる四点の油絵を通してイタリア体験の内容を再構築するしかないのである。四点中、〈ヨセフの長衣を受けるヤコブ〉と〈ウルカヌスの鍛冶場〉(後者の方が後-563-ジョナサン・ブラウン(JonathanBrown)

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