鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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勇期③建築家・芸術家ル・コルビュジ工、1950年代のフランスの建築招致研究者:パリ第一大学(パンテオン・ソルボンヌ)現代建築史教授報告者:東京家政学院大学住居学科教授東京芸術大学非常勤講師間:2002年11月16日〜11月20日(5日間)東京塞術大学にお招き頂いたことを感謝します。ル・コルピュジエの歩みについてこれから述べますことが皆さんにとって新しい情報であることを望みます。この建築家ル・コルピュジエは、その作品、理念、メッセージなどによって非常に重要な存在であることが判りますが、彼はそれによって近代性を打ち立てるために多大な貢献をしました。そして、それらは世界中に広げられたのです。私はル・コルピュジエにつきましてひとつのエッセーを書き、1986年に出版しましたが、それはその後も再版されています。また、私の最新の著書である『ル・コルビ、ユジエとフランスにおけるユニテ・ダピタシオン』は2ヶ月前の9月に刊行されたばかりです。1887年にスイスのショー・ド・フォンに生まれたシャルル・エドゥアール・ジャンヌレはパリで自己を確立しました。1917年からパリに定住を始めた彼はル・コルピ、ユジエを名乗ることにしました。何があったのでしょうか。彼が最初に受けた教育は、時言十のケースの彫刻職人の技術でありまして、それは地域の産業と密接な関係がありました。この地方の美術学校の若い学生だった彼は、当時流行の芸術であったアール・ヌーヴォーに魅了されました。しかし、それはスイスから見て外国で起こったことです。そしてまた建築にも心を惹かれました。その土地の施主に頼まれた住宅を建てた彼は、北欧旅行に出掛けました。そこでは芸術と産業の新しい協力が行われているのを見ました。また南欧のイタリアやギリシャにも旅をしました。東方への旅の聞に、彼はこの西洋文明の源泉の地で熱心に観察と写生を行いました。彼は建築家の眼で見るのと同様に民族誌学的な眼でもって観察を行いました。f皮の北欧や東欧における専門的な接し方は、強い本能によって導かれたものでありました。すなわちベルリンではベーター・ベーレンスの所で、リヨンではトニー・ガルニエの所で、パリではベレ兄弟の事務所で働いたのです。彼らは将来、建築界のリーダーになる人たちでした。ペレの事務所で鉄筋コンクリートの建築を見たことによって、彼はその典型的な表現であるショー・ド・フォンのシュオブ邸を建てることにな•z寅題「建築家、芸術家ル・コルピュジエJ(2002年11月18日於東京芸術大学)-567-ジ、エラーlレ・モニエ(GerardMonnier) 森島

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