鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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四岡本秋障の作品画風展開弘化、嘉永、安政年間の干支印作品群がもっ特質を検討したところで、次に天保年間に制作された「孔雀図」(寺島文化会館蔵)〔図4〕を示したい。「孔雀図」は「天保辛卯」すなわち天保二年(1831)の年記、「秋障」の草書体落款、「隆仙字柏樹」の方印を有し、これまでに知られた秋障作例では最も早い年記をもつものである。左足でからだを支え右足をやや浮かす雄の孔雀、土壌には蒲公英、岩の背後には牡丹、笹が描きこまれ、岩の描写、孔雀のからだや羽にはやや粗放な面的描写、素地を透かす淡い賦彩が見られる。頭頂部が描き消される点、尾羽とからだの関係がやや不自然で、ある点など未熟さが見受けられる一方、清新さを示し、秋障学習期の作例として位置づけられる。一方、「秋瞳老人」印を有し秋障の円熟期すなわち干支印作品群と同時期に制作されたと思われる「十二ヶ月花鳥図J(寺島文化会館蔵)はもと一双の貼付扉風であったもので、第一図から順に、椿に小禽〔図5〕、桜・蒲公英に雑子、藤に小禽、山吹に禽鳥、菖蒲に水鳥、撫子に鵜、女郎花に禽鳥、萩に鴨、薄に鶏、黍・菊に鶴、万両に小禽、梅に鴛驚が描かれる。第一図に「秋障重J、第十二図に「秋障jの行書体落款、また各国に「秋障老人」方印を有し、各図の景物は草花について一種ないし二種、鳥については一種に限定され、構図の重心を左右に片寄せた整理された平明な構図、装飾性を重視した制作態度を示しており、これらの特質は本図をはじめ「秋睡老人J方印を有する作品群に共通して見られるもので、先にみた干支印作品群とは異なる、円熟期の秋障における別の一面を示すものである。これにより秋障の画風展開は現段階においておおむね、天保年間の前期、弘化年間前後の中期、嘉永・安政年間の後期、以上三期によって捉えられ、前期の学習期を経て中期には墨による描写の勝った謹直な様式の作品、後期には対象の観察を重視した華麗な秋障画風が確立される一方で、平明で装飾性豊かな花鳥画等も制作され、円熟期を成したと考えられる。とくに円熟期において異なった二つの画風が存在することは、秋障が、自己の画風を打ち出した鑑賞絵画的性格をもっ作品と、調度としてふさわしい実用絵画的性格をもっ作品とをともに制作していたことを示すものと考えられ、それゆえ、鑑賞絵画的性格をもっ干支印作品群には干支印によって制作年が明示され、実用絵画的性格をもっ「秋陣老人印」を有する作品群には制作年が示されなかったことが想像される。56

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