鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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〉王のものへの深い理解とはなりえなかったことを指摘している。経済新聞社、1980年捉える上で重要な問題であり、そうした観点から掲載されたのであろう。している。・序「俳諾絵は唯趣を第一義といたし候。元禄のころ一蝶許六などあれども風韻は深省などまさり候。此風流の趣ハ古き所にハ無く瀧本坊光悦など防りなるべし。はいかゐには立圏見事に候。近頃蕪村一流ヲ防めおもしろく覚候、かれこれを思い合描くべし。すべておもしろくかく気あししなるたけあしく描くべし、これを人にたとへ候に世事かしこくぬけめなく立振舞物のいひざまよきハあしく、世の事うとく前弁に素朴なるが風流に見候通、この按排を御呑込あるべし散人」−第1図茄子と種茄子「松花堂画法、慢々翁ハ法ヲ遠古ニ取リ務テ時史の風ヲ脱スj−第2図老翁が机に寄りかかり読書するさま「立園画意雛屋ハ松花堂に排香スルに似タリ」・第3図梅の古木の小枝に奮と花がl輪咲く[光悦ハ写生にて趣を取る、本阿弥は全く松花堂ヨリ来ル」−第4図笛釣瓶に鵠備が止まるさま「ー蝶商趣、信香ノ画ハ安信ニ従ヒ、新意ハ菱川ヨリ脱化来ルニ似タリ」−第5図枯木の校に小鳥が2羽とまるさま「許六写意、五老井狩野時史ノ風ヲ脱せず」−第6図男2人と女1人が扇子を手にして踊っているさま「蕪村写意、夜半翁、翁画ハ古潤ノ意ヲ取ニ似タリ」−第7図朝顔「朝貌は下手のかくさへあはれなり」−第8図夕立が降る中を、馬上の男とっき沿う男の笠が吹き飛ばされた風景「鳶の香もいふたつかたになまくさしj同菅沼貞三『渡辺峯山「人と芸術J.I二玄社、1982年ーの箱書きとともに谷文晃、池田孤村の添え状が遺されており、松j畢家の所蔵印が捺されている。大正七年の『松津家入札目録』に同作品を見出すことができ、松津家旧蔵の作品であることが判明した。同家には谷文晃筆「須磨」鈴木其一筆「明石」図双幅が旧蔵されており深い交流の(2) 玉最敏子「『乾山遺墨』と現存作品」『琳派絵画全集光琳派二1日本経済新聞社、1980年。玉議氏は所載作品と現存作品とを比較し、乾山は抱ーにとっては光琳研究の途上にあるもので、絵画そ(3) 『武洲行田百花i軍大津家蔵品展観入札目録J東京美術倶楽部、1928年3月19日(4) 『住吉家古画留帖』東京芸術大学蔵。西本周子「抱一の光琳顕彰」『琳派絵画全集光琳派二J日本(5) (注2)前掲玉最氏論文参照。(6)横長の画面に和歌を添えた作品として「梅図jが唯一掲載されているが、梅の画題は光琳絵画を(7) (注l)前掲『乾山の絵画』参照。(8) 『峯山俳画譜』については、鈴木氏によって既に触れられている(鈴木半茶「乾山の俳画J『日本美術工芸』318号、1965年)。「八つ橋図」「兼好法師図」「憾讃和尚図」を乾山の俳画として言及(9)渡辺畢山『峯山俳画譜』嘉永2年(1849)(11) 「朝顔図」とよく似た作品として想起されるのが、泉屋博古館蔵「椿図」である。「椿図」には抱( 1)河野元昭「乾山の伝記と絵画」『琳派絵画全集光琳派二』日本経済新聞社、1980年。西本周子「尾形乾山筆「定家詠十二ヶ月花鳥図」について」『国華J1043号、1981年。『乾山の絵画』五島美術館、1982年。西本周子「乾山の立葵図J『MUSEUM.I429号、1986年。67

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