第11回国画会展に出品されたこの作品は、日本民芸運動の指導者である柳宗悦、浜田庄司の日に留まった。柳、浜田、河井寛次郎を中心とした日本民芸運動の指導者たちと棟方との聞には厚い親交が結ぼれるようになり、棟方は彼らから仏典や日本の古典文学、古典芸能をはじめ様々な事柄について教えを受けるようになる。そして、それと平行して、棟方と佐藤一英の詩歌とのつながりは、佐藤が昭和10年(1935)に完成した「空海領」を主題とする〈空海領〉(昭和12年)、昭和10年9月刊行の『新韻律詩抄Jに収められた「鬼門ある亙女の呪文」を主題とする〈東北経鬼門譜〉(昭和12年)の中に引き続き見られる。昭和12年l月、佐藤一英宅を訪れて「空海頃」の原稿を見せられた棟方は、即座に版画化する許可を得、制作を開始。同年4月の第12回国面会展に出品した。詩歌の韻律の研究に取り組み、頭韻、脚韻を踏んだ五七調の四行詩〈聯〉を編み出した佐藤一英の「空海領」は、空海作と伝えられる「いろは歌Jを題材に、いろは47文字を頭韻とする47のく聯〉からなっている。棟方は、この世の森羅万象や人の世の営みを詠み上げた宗教的情感のこもるこの詩を、一柵に一聯ずつ挿入。その周囲に、〈高来譜〉を思わせるような装飾的な構成で草花や鳥獣、山河など自然界の事物を表して47柵を制作し、それに表題の柵や作者名の柵など加えて全54柵の大作〈空海煩〉〔図7、8、9〕を完成した。この作品では、同じような響きと語感の言葉が続くため、文字部分が単調になるのを避けようと拓本刷りが初めて試みられている。通常の陰刻ではなく陽刻されているために文字はより自然に流れ、文字と絵柄の部分は万跡も生々しく盛り上がって、立体感あふれる迫力に満ちた画面が生まれている。絵柄は詩歌に詠まれた内容とは関係のないものがほとんどだが、〈寓呆譜〉の日本的な装飾性が、日本古来の形式や響き、韻律を尊重して編み出された佐藤一英の独創的な詩歌と融合し、詩歌全体からあふれる粛々とした情感が表されている。ここでは詩歌を主題としながらも、その内容にとらわれず、詩想そのものを捉えるより大きな表現が試みられているように思われる。「鬼門ーある亙女の呪文」は、福士幸次郎から東北地方の飢笹の話を聞いていた佐藤一英が昭和9、10年の東北地方の大冷害と大凶作をきっかけに制作した詩である(注5)。四行詩が六連並び、前三連はそれぞれ一行目が最も短く四行目が最も長い左下がりの三角形、後三連は一行目が最も長く四行目が最も短い左上がりの三角形で、全体として、右端から中心へと下り、中心から左端へと上がっていく逆ピラミッド型を形成し、悲惨な飢鐘の有様が最小限に切りつめた言葉と緊張感に満ちた韻律の中に詠まれている。-85
元のページ ../index.html#95