鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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しかし、棟方の〈東北経鬼門譜〉〔図10、11、12〕には前三作とは異なって詩句の文字が記されておらず、簡潔な情景描写から成り立つ佐藤一英の詩とは対照的な、幻想的でスケールの大きな世界が展開している。「わたくしは、東北の生まれですが、東北も一番はじの冬が長く夏が短い、苦難の多い土地に育ちました。そこでは、百姓は苦労して仕事をしても、わずかの収入しか得られず、夏あたりから寒い風が吹いて、いつも凶作ばかり、豊作という言葉は聞いたことのない土地に生まれました。易の方でも東北をさして鬼門と言います。その土地に生をうけた、ということは何という宿命であったか。こういう宿命は自分一人のものではなく、土地の受けた宿命です。これを一つ仏の力をかりて幸あらしめる念願を仕事の上にあらわそうと思いました。(中略)六曲一双の構図にして、まん中になる部分、一双の右と左の合体するところに、鬼門をよける道をつけ、右半双の左の端、左半双の右の端にわたって、大きな鬼門仏をおきました。(中略)こうしてそれをまん中にして仏から菩薩、菩薩から羅漢、羅漢から行者、行者から人問、人聞から人間にもなり得ない暖昧模糊とした心をもった者ども、所謂化け物を最後におくよう構図をきめました。(中略)鬼門仏自体が、自分の体を割って、もろもろの悪霊をとおしてしまう。そんな構図です」(注6)と棟方自身語っているように、表されているのは飢鐘の情景ではなく仏の世界であり、苦難に満ちた故郷を思う心と故郷の幸いを願う祈りが表現されている。前年、河井寛次郎から禅の経典「碧巌録Jの講義を受けたことや、柳宗悦の補佐役として日本民芸運動に関わっていた教養人、水谷良ーから「華厳経」の講義を受け、〈華厳譜〉を制作した経験が知的な仏教理解に結びつき、この思いや祈りを表現するための図像形成に大いに役に立っている。原作の題名「鬼門」から「鬼門仏の身体を割って悪霊を出すJという作品のコンセプトが示唆され、逆ピラミッド型の詩形から、両端にしゃがむ化け物から中央高く座する鬼門仏へ向かうというピラミッド型の構図のヒントが得られたのかもしれないが、詩歌は故郷への強い思いを表現するためのきっかけとなったにすぎない。棟方は、詩歌に詠まれた内容とも、詩歌全体に流れる詩想とも全く異なる想像上の世界を仏教的モティーフに託し、幅10メートルに及ぶ六曲一双)弄風を作り上げたのである。このように、棟方の詩歌を主題とする作品は、日本浪量派との密接な結びつきと佐藤一英の詩歌との出会いから本格的に始まり、当初は主題となった詩歌に詠われた内容に多分に依拠していたが、旧作の構図やコンセプトを発展させ、柳宗悦ら日本民芸運動の指導者たちの教えや故郷に対する自らの思いなども積極的に取り入れながら、一作ごとに原作にとらわれない独自の表現へ向かったように思われる。86 -

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