鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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3. {なめとこ山の熊〉と〈善知鳥版画巻〉〈空海領〉、〈東北経鬼門譜〉に先立つ昭和11年から構想され、それらの作品とほぼ同時期に制作された〈なめとこ山の熊〉(昭和12年)〔図13、14、15〕は詩歌ではなく、岩手県花巻市出身の詩人、宮沢賢治が著した同名の童話を主題とする作品である。〈東北経鬼門譜〉や後の〈善知鳥版画巻〉に先だ、って、棟方の故郷への思いが表現された最初の作品だが、棟方の作品の中では珍しく途中で中断し、その後二度と取り上げることがなかった。しかし、この中途挫折の経験は、その翌年この童話に非常によく似通った物語的本質を持つ謡曲「善知鳥jを版画化する際に生かされ、新しい境地が聞かれているように思われる。宮沢賢治は童話「なめとこ山の熊」の中で、故郷花巻市の北西部に実在するなめとこ山を舞台に、熊と心を通わせながらも生計を立てるために殺さなければならない貧しい猟師小次郎の人生を語っているが、棟方は、自分と同じ東北出身の宮沢賢治が著した悲劇的な宿命の物語に心から共感を覚えたに違いない。棟方の〈なめとこ山の熊〉では、〈大和し美し〉を思わせる大小入り乱れた文字によって原文テキストが画面に記され、その余白を埋めるように黒々とした熊や無骨な小次郎、元気な猟犬、東北の山河が表されて、この童話の素朴な雰囲気が捉えられている。しかしその反面、ぎっしりと隙間なく埋め尽くされた画面からは、棟方独特のほとばしるような力強い表現が失われているように感じられる。童話「なめとこ山の熊」は当時未発表だ、ったが、佐藤一英が編集し、棟方が挿絵を描いていた『児童文学』に宮沢賢治も寄稿していたという関係からか、棟方は何かの機会にその原稿を読み、書き写す機会があったらしい。昭和11年12月刊の『工塞j第71号に浜田庄司が「棟方君を地で行くやうな『ナベトコ山の熊』と云ふ童話を彫りたいという云ふ希望も聞いた」(注7)と記していることから、棟方がこれ以前から「なめとこ山の熊」を版画化する意志を持っていたことが分かり、柳宗悦の昭和12年1月17日付河井寛次郎宛書簡に「一昨日逢ったら『なめとこ山』取りかかった由、何でも五十鈴枚となる曲、楽みにしている」(注8)とあることから、おそらく〈空海頃〉と同時並行で、1月半ばには着手していたことが知れる。そして、同年2月23日柳宗悦宛に「出品目録木版査結巻仕立一、なめとこ山の熊一巻棟方志功jと、開催された日本民塞館春期展覧会(5月11日〜6月20日)への出品目録を送付していること(注9)から、当初は〈大和し美し〉のような絵巻物形式で出品することを考えていたようだが、同年6月19日に聞かれた第四回『工塞』読者座談会の報告中の「今、その十八葉が黒々と刷られて民塞館の壁面を飾った」(注10)という記述から、出品さ-87-

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