鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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4.むすび棟方の指導役水谷良ーが、宝生流の能「善知鳥」の舞台を棟方に見せたり、棟方の前で自ら「善知鳥」を舞ったりと、懇切丁寧な教えを施したことも作品理解に大きく役立ったと思われる。詩句の文字を画面に入れたのは全31柵のうち、〈出離の柵〉、〈離島の柵〉の2点のみで最小限に抑えられ、文字に邪魔されることなく絵柄が表されている。そして、〈なめとこ山の熊〉のように描線が入り乱れ、文字と絵柄がひしめき合う構図、物語の内容を順次追っていく構成とは一線を画し、白と黒の面的なコントラストを重視した力強く簡潔な構図によって画面を作り上げ、群れたり、飛んだりする善知鳥の姿を捉えた場面や風神が走る場面など、話曲中にはない場面を挿入したり、謡曲の場面の前後を入れ替えたりと、自由自在に画面を構成することによって、謡曲全体に流れる韻律や情感を生き生きと再現している。それによって、猟師の霊の苦しみや善知鳥の怨み、悲しみまでもが伝わってくるような表現が生まれているのである。〈善知鳥版画巻〉は、〈なめとこ山の熊〉と非常によく似通った物語的本質を持ち、〈なめとこ山の熊〉で当初構想していたのと同じ絵巻物形式で構想されながら、〈なめとこ山の熊〉とは一線を画したこれらの構図上、構成上の工夫によって、緊迫感あふれる能の世界が再現され、〈なめとこ山の熊〉で、は果たせなかった登場人物の心情表現が実現している。棟方が〈なめとこ山の熊〉の行き詰まりの経験から、そこで突き当たった問題点を振り返り、一つ一つ解決しながら仕事を進めた様子がうかがわれる。また、〈雨ニモ負ケズ板画柵〉(昭和19年)〔図19、20〕では、宮沢賢治が昭和6年病床の中で手帳に書き留めた「雨ニモマケズ]を主題としている。〈雨ニモ負ケズ板画柵〉では、「雨ニモマケズ」の詩句が細身の文字で記され、詩句の脇や周囲には、詩歌に詠まれた内容とは関わりのない諸仏や鳥、魚、草花などが簡潔な描線で表されて、「雨ニモマケズ」の穏やかな悟りの世界が捉えられている。余白を残した構図、詩句にとらわれないモティーフには、〈なめとこ山の熊〉での経験が想起され、再び生かされているように思われる。棟方志功の詩歌を主題とする作品は、日本浪量派の文学への共鳴から本格的に始まったが、様々な知識を積極的に吸収し、貧欲に取り込みながら、旧作や前作の経験を生かした表現上の試みを行うことによって、自己の画風を発展させている。一旦版木に向かうと一気阿成に彫り上げる棟方の姿は、テレビや映画の映像によってよく知られているが、構図や構成を決める段階においては、少なくとも戦前の初期作品では時間をかけ、一作ごとに旧作、前作を振り返りながらの試行錯誤がなされており、綿密-89-

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