を素描する人の視点も低い。素描する人は、この作品では現実の証人であり(注14)、ルプソワールとしても機能しているが、視点の低さを強調する働きも担っている。サーンレダムが素描する人のモティーフを用いるにあたり、父親であるヤン・ピーテルスゾーン・サーンレダムの影響を受けていることは確かである。『オランダの都市ハールレムの記述と礼賛』掲載の別の挿絵〈ハイス・テル・クレーフの廃墟》〔図4〕で、彼は父親の版両《ベーフェルウェイクに打ち上げられた鯨》(1602年)に登場する素描する人と同じ挙措をしたモティーフを描いている。ただし、ヤンの作品を知らない鑑賞者にはモティーフの意味がわかりにくいかもしれない〈ハイス・テル・クレーフの廃墟》に対して、《南から望むスパールネ川とハールレムの眺め》の画面左手の男たちがハールレムを素描中であることは、誰の目にも明らかである。上下にハールレムを称える銘文があるこの作品にサーンレダムが素描する人を明快な形で描いた理由は、ハールレム礼賛の主題を視覚的に高めるために、都市礼賛の機能を素描する人に与えようとしたためだと考えてよい。主題とした作品が増加する傾向がみられる(注15)。その中にあって、オランダ東部地方を旅した体験をもとにアールベルト・カイプが1640年代に制作した、レーネンの街とその周辺の眺めを素描する人のいる口点の油彩画は、都市図と風景画の折衷的な傾向を示している〔図5、6〕。地誌的な正確さよりも風景の持つ雰囲気を重視した表現がなされているため、これらは今日では風景画に分類されているが(注16)、画面手前の小高い場所に素描する人が位置し、都市とその周囲を俯鰍するという構図は、このモティーフの登場する都市図の定型表現である。同じオランダとはいえ丘陵地帯であるレーネン一帯は、生地ドルトレヒトで活動していたカイプにとって魅惑的な異郷であった。画中の素描する人のいる場所は、オランダに亡命したプファルツ選帝侯フレデリック五世(冬の王)が眺望を楽しんだと伝えられている所で、当時の旅行者に人気があったという(注17)。彼らやカイプの眼差しは、素描している人に投影されている。素描する人はここでも現実の証人であり、都市を含めた風景を礼賛する機能を担う存在である。カロやサーンレダムに連なる都市図の影響は、構図だけに留まらず、カイプの作品のこうしたところにも認められるのである。だが図5と比較すると、その数年後に制作されたとされている図6(注18)では、素描する人が作品の中心モティーフになっている。主題はレーネンとその周辺の眺め17世紀も半ば近くになると、戸外で素描する人のモティーフの認められる、風景を-92 -
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