鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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ではなく、素描という行為そのものに移っていると考えられる。面構成をおこなっている作例がある。戸外での素描を直に主題に取り上げた者もいた(注19)。だが戸外で素描する人自体が作品の主題となったとき、ルプソワールや現実の証人といった本来このモティーフが担いうる機能は相対的に弱まる。ここにモティーフの定型化の始まりを指摘することができる。すなわち、モティーフの意味するところが広く認知される一方で、それゆえに機能や効果が熟考されることなく安易に使用されるようになる、という状況に至るのである。では定型化し始めた素描する人は、戸外で都市を素描するという場合、どのように表現されているのだろうか。チューリッヒ美術館に所蔵されているヤーコプ・ファン・ライスダール〈漂白場のあるハールレムの眺め》(1670年代)〔図7〕も、今日風景画に分類されることが常である。ライスダールの革新性が議論されてきた作品だが(注20)、都市のシルエットの前景にその都市の特徴的な産業を描くという点では、伝統的な都市図の影響が指摘できる。この絵には、画面右下にハールレムとその周辺の景観を素描する男性の姿が、ごく小さく描かれている。望風景を制作している〔図8〕。郊外の砂丘の上からハールレムを水平線上に眺望し、素描する人を小さく目立たぬように砂丘の中に配する構図は、両作品に共通する。いずれもこのモティーフにルプソワールの効果は期待できない。だが、これまで指摘してきたような素描する人の持つ現実の証人や都市礼賛といった機能が失われているかというと、そうではない。モティーフが積極的にはその役割を主張していないということである。〈ハールレムの眺め〉という主題の下では、このモティーフの意味が画家と鑑賞者の双方によってすでに認識されている状況が、これらの作品が制作されたころには作り出されていたためであろう。本稿では都市図とその影響を受けた作品において、戸外で都市を素描する人のモテイーフが様々な機能を有するようになったことを、作例を挙げて示した。そしてこのモティーフが風景画と係わり合いながら用いられていく中で、17世紀後半には定型化していく様子を明らかにした。その過程で、都市を主題にした作品と風景を主題にした作品が相互に影響を与え合いながら展開していたこともまた、確認できた。「戸外で都市を素描する人」は、個々の作品ごとに特定化されうる機能を持つ。同時にこの17世紀中葉に制作された風景画には、戸外で素描する人を主要モティーフにして画1685年にはクンラート・デッケルがエッチングで、素描する人のいるハールレム遠-93 -

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