(1) 徳川美術館所蔵月に薄蒔絵貝桶付属合貝(以下徳川美術館A本と呼称)(注9)本作品は、貝桶の蓋裏の貼紙に、絵を徳川家康の九男で尾張徳川家初代の義直(慶寛永3年(1626)に生まれた娘普峯院(注11)、それから、義直の異父兄竹腰正信夫人の竹腰松仙院が描いたとの記載がある。貝の裏には紙が貼られ、絵が描かれている。ほぼすべての紙に、金泥による霞のような装飾が施されている。貝の大きさは、縦約5センチ、横約6.5センチ、厚さは約巧的なもの、稚拙なものなど、明らかに手の違うものが混在しているため、絵の筆者は少なくとも複数人いたと考えて間違いないだろう。描かれている題材は、物語、風俗、植物、動物、器物、名所など多岐に渡っている。中でも、「柳橋水車図」や「誰ガ袖図」などの、近世初頭に流行した画題が含まれており、仮に伝承筆者をすべて否定したとしても、製作年代を17世紀前半と捉えるのは妥当と思われる。画題としては、植物(野菜含む)が最も多く、およそ全体の30%程度を占め、続いて多い順に人物(物語・風俗)、生物(鳥類の他、動物・魚類含む)、器物、風景・名所と続く。(2)神宮徴古館所蔵合貝(以下神宮徴古館本と呼称)本作品については、土井次義氏が、合貝が付属している貝桶に描かれている唐人物図の筆者として狩野光信を想定し、付属の色紙と女房奉書と色紙によって、文字が描かれた貝は後陽成帝をはじめ、八条宮智仁親王、大覚寺空性法親王らの筆になることを紹介している(注12)。付属の二枚の色紙は、良恕法親王の筆になり、貝桶が後陽成天皇の生母新上東門院から伊勢神宮の子良に下賜されたことが記され、慶長12年(1607) 3月28日の年記がある。これらの色紙は、痕跡から考えてかつては一対の貝桶の蓋の裏にそれぞれ貼られていたと考えられる。絵のある貝は、おおよそ、縦約6.3センチ、横約8.3センチ、厚みは約4センチである。対になる貝は82組164枚、片貝を含めると、総数376枚が現存している。徳川美術館本と同様、絵が描かれた紙が貼られている。明らかに作風が異なるものが4種類(うち一種類は文字が描かれたもの)混在しているが、大多数が藍または緑青で霞や土披、水などを表し、切箔による装飾が施された類である。表現方法にはややぎごちなさが感じられ、緻密とは言えないが、同じ鳥でも水墨画風に墨のみで描いたものがあるなどの描き分けが見られる。画題は、植物が圧倒的に多く全体の約46%を占め、続いて鳥、風景名所、器物その長5年〜慶安3年1600■50)と、義直の側室貞松院(注10)、義直と貞松院の間に3.8センチで、他の現存作例に比べて小さい。表現を一つ一つ見ていくと、緻密で技-100 -
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