Dure e Laboratori di Restauro)において、《サルザーナの十字架上のキリスト》〔図2〕かく滑らかな粘上質の赤褐色のボーロ(注3)が施されるが、これが金箔を石膏地に密着させ、貴石や肉食動物の牙で磨いたり刻印したりするときの衝撃を和らげると同時に、金に暖かい色調を与える役割があった。〔図l〕は、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵される、ヤコポ・デイ・チョーネ作のサン・ピエル・マッジョーレ聖堂祭壇画の金地の試料の走査型電子顕微鏡写真(1060倍)である。左から右へ向かって粗□石膏(gessogrosso)、仕上石膏(gessosottile)、ボーロ、金箔と徐々に肌理が細かく滑らかになっていく様子が分かる(注4)。ところが、時代の遡る12-13世紀の板絵の金箔の下にはボーロの層がなく、金の色調は冷た<刻印は少ない傾向がある。金色が青白い色味を帯びるのは、ボーロの暖かい色が下にないことに加え、当時の金箔の金の純度が低かったことも原因の一つである。事実、I.パッセリによると、フィレンツェ国立修復機関(Opificiodelle Pietre と《ロザーノの十字架上のキリスト》〔図3〕に使用されている金箔は、蛍光X線分析の結果、18-22カラソトであること、時代の下がるロレンツォ・モナコの《聖母の戴冠》とジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの〈サン・ニッコロ・オルトラルノの多翼祭壇画》のものは233/4―24カラットであることが認められている(注5)。なお12-13世紀の作品において、ボーロを使わずにどのように金箔が接着されているのかについては、今日まであまり研究がなされていない。ボーロとその刻印への適用ボーロは、アルメニアやペルシアからしか手に入らなかったため、チェンニーニは「アルメニア産ボーロ(boloarmenico)」と呼んだものと思われるが、それ以前の手稿の中では黄土(オーカー)とボーロの区別については明瞭でないことも多い。赤褐色のボーロは、初め‘colorbrunus'の名で羊皮紙に絵を描くときに用いられ(注6)、その後金箔を貼る水性モルデンテの中に混ぜられるようになり、板絵ではそれだけで石膏地の上に薄く何層も重ねて塗られるようになったと推察する。イタリアでは、ボーロはおよそ13世紀半ばから板絵に多く見受けられるようになる。それには、貿易が活発化して東方からボーロが入手しやすくなったという背景があるのかもしれない(注7)。また、ボーロは非常に細かく挽くことが可能であり、やや油気があるため金箔と石膏地の間のつなきと磨きの際のクッションの役割を果たすこと、特に金箔に緻密な刻印を施すための下地として石膏のみよりも適していることが認識されたのであろう。-2-
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