ン公演を見たプッチニーが感銘を受け、オペラ化されるに至った。ウェルドンは、滞日中に日本美術の収拾にも情熱を注いでいたようだ。ジュリア・ミーチは、浮世絵版画を収集したアメリカ人画家としてホィッスラーやラファージュ、ブラム、ジョン・チャンドラー・バンクロフト、J・アルデン・ヴェアーらを挙げているが(注26)、実はウェルドンも浮枇絵を収集したアメリカ人画家のひとりであった。アメリカの美術評論家のサダキチ・ハルトマンが出版した『アート・ニューズ』誌ビルの一室にアトリエを設け、そこで自らの日本美術のコレクションを日曜の午後に公開していたという(注27)。また、北斎、歌麿、広重を含むウェルドンの個人コレクションは非常に充実しており、アメリカで最も重要な日本の掛物や版画のコレクションであることを、ハルトマンは指摘している(注28)。またラファージュも、センチュリー・クラブで行った講演会でウェルドンの北斎のコレクションについて語っていたと当時の評は明らかにしている(注29)。ラファージュのアトリエは、ウェルドンと同じ10丁目アトリエ・ビルにあったことからも、彼がウェルドンの日本美術のコレクションを見ることができたと推測できる(注30)。さらに、遺族の手元に残っていた作品のなかには、浮世絵の摺師や彫師を描いたと思われる白黒淡彩によるスケッチを3点確認できた。この内の2枚は同一人物を描いている。これらのスケッチは、ウェルドンが浮世絵版画の制作者たちとなんらかの関わりがあったことを示唆している。ウェルドンは、自らの日本美術のコレクションを売却したと語っているが、彼のコレクションの全貌とその行方に関する調査も今後の重要な課題である(注31)。おわりにサダキチ・ハルトマンは、次のような一文を記している。「西洋の目に日本はどのように映るのだろうか。ウェルドンが最もリアリスチックで、ブラムが最も実用的、そしてパーソンズが最もピクチャレスクな仕事をしている。ラファージュは、忠実な景色の再現者としては個性が強すぎる(後略)」(注32)ハルトマンが、19世紀後期アメリカに日本のイメージを伝えた代表的な画家たちの筆頭にウェルドンの名前を挙げていることは重要だ。これまで美術史家に見過ごされてきたウェルドンではあるが、4 の1897年5月号によると、ウェルドンは日本から帰国した後、通称10丁目アトリエ・-114 -
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