第1章図像構成と本図関連の従来説—兵庫・十輪寺蔵五仏尊図を手掛かりとして⑫ 五仏尊の調和、朝鮮前期の会通の原理研究者:京都大学大学院文学研究科博士課程台湾中央研究院史語研究所訪問学人はじめに「崇儒抑仏期」とされる朝鮮前期は、燦然であった以前の高麗朝の仏教文化にくらべ、仏教の暗黒期と見なされている。しかし、一千年間続いてきた国教としての仏教とそれに伴う宗教観や価値観が、突然の政治的な弾圧により一変することはあり難い。このような大転換期に仏教文化の実相はどうであっただろうか。ここで、論者は「朝鮮前期における仏教美術相の再検討」という観点から、日本に保存される朝鮮王室発願の仏画の中で、特にその作品性が目立つ「兵庫・十輪寺蔵五仏尊図」(以下本図)〔図1〕を取り上げ、当時の実相の一面を窺う糸口としたい。整然たる構図と繊細な色彩、精巧な装飾的描写に恵まれている本図は、その様式上だけではなく、特に形式上の図像構成が注目に値する。即ち、三身仏(法身・報身・応身)と三仏(阿弥陀.慮舎那・薬師)が交叉するように配置され、中央の慮舎那仏に両性質が重ねられた計五仏が注意深く構成された独特な十字構図をみせるのである〔表l〕。さて、本図は以下の一連の疑問を引き起こす。まず、本図は、「高麗とはまった<異なる様式を見せるため、その様式における断絶」という問題、次に「仏教抑圧政策という状況の中でも‘朝鮮’といえる新しい様式の成立が、どうして可能であったか」という問題、また「多彩な新しい図像の出現とこれに関わる中国からの影響及び朝鮮的な図像の創案」などの問題は、本図のみならず朝鮮前期仏画全体の問題として、今後解いていかなければならないと考えられる。上記の一連の課題を解く前に、まず本論では本図の形式分析を通じて従来の編年を再考する。中国と日本の関連作例との比較を通じた本図図像の普遍性と特殊性の考察、またこの作業を基に本図に具現された三身仏と三仏の図像学的な解明を行う必要がある。本論ではこれらの問題を考察していきたい。本図は、一見、縦に配列された三身仏を中心とした三段構造に見える。最上段には法身である如来形の智拳印の昆慮遮那・中央に報身である菩薩形の両手を開き説法印姜素妍-118 -
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