鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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日本の場合は、周知のように、密教の内でヴァイロ—チャナの図像が完成される。説法印の如来形の伝統も続く。以上の例から、ヴァイロ—チャナの図像において、菩る作例は、宝頂山14窟昆慮道場(四川省大足石窟、南宋1174■1254)の造像の例がある。上記の毘慮遮那と区別されるマハーヴァイローチャナ(mahavairocana)は、大日如来と翻訳され、菩薩形として独特な伝統が成立する。さて、両手を開く説法印の菩薩形尊像は鎌倉時代に「華厳海会善知識曼茶羅」に頻繁に現われる。一方、山西省開化寺大雄宝殿の「華厳経変相図」(宋、1096)の例のように、菩薩形ではなく両手を開く薩形また如来形も存するが、中国や日本においては、菩薩形の尊像がその主流を成すことがわかる。さて、上記の例のような両手を開いた説法印の如来形尊像は、高麗の華厳経写経装飾画にもたまには見られるが、やはり本図にも見られるような、韓国の独自的図像とも称される智拳印の如来形図像が主流を成している。さて菩薩形の尊像は独尊としては非常に希な図像であるが、何らかの理由で朝鮮時代、特に、後期に入ってからは巨大な掛仏〔図9〕に数多く描かれるようになる。それでは、本図の図像とより直接的な影響関係を示す高麗の図像を考察してみよう。まず、本図上段の昆慮遮那の図像は、高麗の華厳経の写経画から敷多くその図像が見て取れる。本図中央の説法印の宝冠菩薩形尊像は、また華厳経だけではなく円覚経、梵綱経などの写経画にもその図像が見られるが、特に本図の尊像と直接的な関わりを示す作例としては、ソウル・湖林博物館蔵「白紙金泥大方廣円覚修陀羅了義経変相図J(1357)〔図lOJがある。本図の報身慮舎那の衣と類似する渦巻き文様の天衣の姿に、高い宝冠をのせた説法印の慮舎那が見られる。本図とこの作例から推してみれば、先に言及したように、既に宋代には成立したかかる例の菩薩形慮舎那仏は、少なくとも14世紀には、韓国に知られていたことがわかる。この円覚経写経画の図像と密接な関わりを示す作品として、ボストン美術館蔵「華厳経変相図」(或いは9円覚経変相図J)〔図11〕がある。下段に位置する降魔触地印の釈迦は、霊山会上図の主尊として朝鮮後期に最も頻繁に描かれる尊像である。しかし本図での尊像は、禅宗における根本大師または釈迦霊験説による絶対的な救世主としての意味ではなく、三身の一つである「応身」(報身からの派生概念で、一切衆生の様々な「願」を充たすため、みずから化身し娑婆界にとどまる存在)としての意味を持つことは明らかである。このような三身は三身帰一思想により「三身一体一体三身」という原理で朝鮮時代の仏身観に大きな影響を及-122 -

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