ぼすと知られている。三身が一体に造形化されるときは、毘慮遮那あるいは釈迦の形を取ることが一般的である。異なる概念の仏身が一乗の境地で「不二」となるという説は、本図のみならず朝鮮後期の数多くの造形例からも確認できよう。横線上の三仏〔図7〕は、朝鮮後期には中央の慮舎那が三身一体の論理により釈迦に代置され「阿弥陀一釈迦一薬師」の組合せで非常に流行する。これは三世仏という説が一般的であるが、これについてその本来の意味を再検討する必要があると考えられる。そこで、中心の慮舎那の意味に注目してこの縦線上の三仏が何を意味するのかについて、一つの試論を呈示してみたい。慮舎那仏が表す報身は教学的意味では「受用身」と称されている(注7)。受川身はまた自受用身と他受用身に分けられる。自受用身は、「修行の結果で得られた仏果と自内証の法門を自ずから受用して楽しむ仏」である。他受用身は、「その悟りの結果と法門を他の人に受用させ教化し指導する仏」である。即ち、信仰の対象になる方は他受用身としての「報身仏」で、大衆を救う典型的な報身仏の代表的な例としては、時代と地域を問わず阿弥陀仏と薬師仏がある。本図の報身は、縦線上には究極的な法身つまり涅槃を目指す自受用身の意味を持ち、横線上には民衆を救う他受用身としての意味を持つ。本図にはその両者の意味を図像学的に絶妙に現している。つまりこれらの三仏が「過去ー現在ー未来の時間的永遠性を象徴する三世仏」という説に関しては、再検討が要求されよう。本図の中心軸の役割を果たす三身仏の左右に、阿弥陀と薬師が加えられることによって、本図は四方仏或は五方仏の構造となんらかのと関わりを示す組合せになる。経典及び典拠に現れる四方仏と実際に造形化される四方仏とはその尊名が非常に異なるが、その造形例としては「薬師一阿弥陀一釈迦ー毘慮遮那(或いは、サ爾勒)」の組合せの四方仏があり、統一新羅からその成立と伝統が窺えよう(注8)。結びにかえて一思想的背景と朝鮮後期の関連作例ー華厳と禅の思想的交流は、勿論統一新羅末期から始まるが、高麗の義天の教観兼修(即ち、‘教(華厳教学)'を基にした実践的修行としての‘観')の天台思想は、そのまま禅宗に吸牧され、韓国禅宗の宗旨としてもその役割を果たす。朝鮮時代の廃仏策で数多くの宗派が禅教両宗へと減るが、これは禅の包容主義の立場から敦学を乞描する形をとる。「朝鮮前期の教禅雨宗へ統廃合の過程上、従束の様々な傾向を理論的に第4章三仏の意味と四方(五方)仏との関わり-123 -
元のページ ../index.html#132