(5) 世祖期の仏教復興事業と関わる主要な記録は次のようである。[世祖4年(1458)』「上於鋳字所印法華等諸経散百件印大蔵経五十件且今刊釈譜」、『世祖7年(1461)』「初設刊経都監置都提調提調使副使判官」、『世祖10年(1464)』「近日孝寧大君於桧巌寺説円覚法会如束現相降甘露黄袈娑僧三燒塔精勤其光如電又有放光如豊彩霧満空舎利分身数百即以舎利供養於含元殿又分身枚如此奇祥難遇予欲復立興福寺為円覚寺」(『朝鮮王朝実録』より)(6) 第3章の毘慮遮那及び慮舎那と関わる伝統に関しては、主に姜友邦氏の「法空叫荘厳』(悦話堂,2000年)と石田尚豊氏の『華厳経絵』(至文棠,1988年)を参考とした。(7) 報身の定義に関しては、『韓国民族文化大百科事典j(韓国精神文化研究院,1991年)、浅野斧山「禅宗の仏身観を論じて本尊論に及ぶ」(『和融誌』10-6,1906年)、亀川教信「慮舎那と毘慮遮那との名目に就て」(『六條学報』220,1920年)などを参考。(8) その例としては、統一新羅(863年)の桐華寺「金銅舎利函線彫板」(釈迦三尊ー阿弥陀三尊一薬師三尊一昆慮遮那三尊)、高麗の慶北・青岩寺三層塔四方仏(昆慮遮那二躯ー薬師ー釈迦)と泉陪寺金銅仏紅(薬師ー阿弥陀ー釈迦―毘慮遮那)がある。(9) 李箕永氏の執筆の「仏教」の項(『韓国民族文化大百科事典』より)(10) 韓国の三身仏伝統やその作例に関しては、李容胤氏の「朝鮮後期華厳七処九会図叫蓮華蔵世界図叫図像研究」(『美術史学研究』233• 234,韓国美術史学会,2002年)及び朴亨園氏の『ヴァイローチャナ仏の図像学的研究』(法蔵館,2001年)に詳しい。(11)金舷竣『寺刹ユ舎叶l咬茫斗可』(立唱,1997年,211■224頁)〔付記〕本論で取り扱った「兵庫・十輪寺蔵五仏尊像図」の調査と撮影に当たって、大阪市立美術館の御協力を頂き、心から感謝申し上げます。-125 -
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