鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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同氏は「この両像が右手剣、左手軍持の十羅刹女中の第五黒歯であることは、これ又先にも述べた如く、五十巻抄に於いて黒歯の本身を大日如来として十羅刹女の中尊とする考え方から、この黒歯一体を以て十羅刹女を代表せしめていると解釈されよう」とされている(注14)。以下、厳島杜祭神との関わりから松下説を再検証したい。まず、松下氏が述べる輿然『五十巻紗』第十二「本身事」(建仁3年=1203奥書)には、「十羅刹女変化身。ー名藍婆者東方宝瞳如来変化身也。二名毘藍婆者南方花開如来変化身也。三名曲歯者西方阿弥陀如来変化身也。四名花歯者北方天鼓音如来変化身也。五名黒歯者中央大日如来変化身也。不動尊。六名多髪者普賢菩薩変化身也。七名無厭足者文殊師利菩薩変化身也。八名持環路者弥勒菩薩変化身也。九名皐諦者観世音菩薩変化身也。十名奪一切衆生精気者荼吉尼変化身也云々私云難信用可尋説所也」とある。松下氏が指摘されているのは、「五名黒歯者中央大日如来変化身也」の部分であり、付け加えるならば、ここに登場する如来、菩薩は、「荼吉尼」を除き、いずれも胎蔵曼荼羅中台八葉院の諸尊であり、大日如来も胎蔵界のそれと考えられる。興然自身、この説について「信用し難く説く所を尋ぬべき也」としているが、この所説は、登場する尊名に若干の変化はあるものの、澄円(1218■84■?)撰『白宝抄』(大正新修大蔵経図像篇十)「法花法雑集」下(弘安2年=1279奥書)や鎌倉時代の有職故実に関する記録である『拾芥抄』「諸仏部」第十にも記される。いずれにおいても黒歯は、大日如来の変化身とされている。では、厳島社の祭神伊都伎島神についてみてゆこう。まず、この神が女神であることは、例えば十三世紀中頃の『選集抄』(岩波文庫本)巻五第十二「安芸厳島眺望事」に「御簾の上には御正体の鏡を懸け参らせで、御簾より下に懸け参らする也。かの御神は女房神にてましますなれば、かくはならはせるやらん」とあり、『平家物語」(古典文学大系本)巻二「卒塔婆流」にも「宮人答けるは、『是はよな、娑賜羅竜王の第三の姫宮、胎蔵界の垂迦也』」とあることから知られる。後者については、『醍醐寺新要録』巻第=「厳島明神託宣事」に「鎮守清滝権現ハ娑伽羅竜王ノ第三ノ女也。安芸ノ国ノ一宮伊都岐嶋ノ明神ノ託宣云、我ハ娑伽羅竜王ノ第一ノ女也。第ニノ女ハ仏在世ノ時、年始八歳」とあり、『法華経』「提婆達多品」所説の龍女と姉妹ともされる。さて、伊都伎島神は、平安時代中頃から習合したものとみられるが(注15)、その本地仏には観音と胎蔵界大日如来の二説がとなえられた。観音であると明確に記す史料は、長寛2年(1164)「平家納経」奉納の折の「清盛願文」が初例とされる。承安元年(1171)「伊都岐島社神宝調進状」(『神道大系厳島』所収)には「御正体鏡参面大日十一面毘沙門」とある。ついで、安元3年(1177)7月には、平宗盛が使者-144 -

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