鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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Toscano dell'Arte del Disegno)にも、同様の記述がある。また、マイエルヌの『絵画1. 1300-5年頃、《キリスト降下》、マエストロ・デイ・フォルリ、Thyssen-Bormeniszaコレクション、19.7X13.3cm(注37)2. 1305-17年、《ペンテコスト》、ジョット、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)、45.5X44cm(注38)〔図8〕3. 1310年代、《十字架上のキリスト》、ジョットの親戚、サン・フェリーチェ・イ4. 1320年頃、《キリスト傑刑》、ポンポーザ司教座聖堂参事会会議場のマエストロ、Thyssen-Bormeniszaコレクション、29X20.5cm(注40)5. 1320年頃、《聖フランチェスコ》、11X 11.3cm,《洗礼者聖ヨハネ》、10.6X12.2cm、ジョット、アカデミア美術館(フィレンツェ)(注41)6. 1330-35年頃、《聖ステファノ》、ジョット、ホーン美術館、84.3X54cm(注42)結論彫刻論』(Pictoria,Sculptoria, Tinctoria et quae subalternarum Artium spectantia, 1620年頃)は、緑色のボーロは緑土であると定義する(注33)。「昔の人」とはビザンティンの人々のことを意味するとされる。ヴァザーリは、金箔を貼るときの下地を緑土からボーロに変えたのは、13世紀半ばのマルガリトーネ・ダレッツォであるとするが、この記述は真実というよりはヴァザーリの同郷贔属によるものと思われる(注34)。R.パニキは、銀箔の下地にボーロの代わりに使用されたと言う(注35)。これは、銀色の冷たい色調を促進するためと推測する。緑土はボーロに比べると粒子が粗いため、ボーロほど磨きあげることはできない(注36)。ン・ピアッツァ聖堂、390X340cm(注39)〔図9〕〔図10〕筆者は板絵のボーロなしで押された金箔は、当時の羊皮紙写本装飾の‘flatgilding' に類似したものと考える。つまり滑らかな白い地の上に、主に膠や卵白などの有機物を用いて金箔を接着した。よって、ボーロがあるときのように暗い色を放つ鏡面のように磨きあげることはできず、ややマットになったと思われる。さらに下地が白い上、金箔のカラットが低かったため金の色調は冷たくなった。ボーロは、特に14世紀初めのフィレンツェやシエナで完成された刻印にとって最適な材料であったわけだが、ボーロが好まれた理由は、複雑な刻印の技術のためだけでなく、絵の中でより重要な色彩、質感の嗜好の変化、絵具の用い方の変化とも同時進-7-

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