鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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注(1) 佐波甫「二三の絵画現象に就て」『アトリエ』13巻2号、1936年2月、6頁日本の社会状況、「いま•ここ」への批判の意志を象徴的に表す手段として、シュルレアリスムないしダリのある部分を摂取し、そして「いま•ここ」から遠く離れた理(2) 瀧口修造「美術」『現代思想選書第一巻現代思想概観』三笠書房、1939年10月(3) 五十殿利治・水沢勉編『モダニズム/ナショナリズム1930年代日本の芸術』(せりか書房、2003年1月)の「あとがき」において、水沢は次のように述べている。「1930年代日本の芸術表現への関心が共有できることの前提には、やはり1920年代の狂熱のあとにファシズムの暗い谷間の不毛がやってくるという従来の図式から解き放たれる必要があった」(242頁)。という事実である。こうした傾向は他の画家たちにも認められ、この頃、森口多里は次のような興味深い発言をしている。「シュールレアリスムと云ふ名称は便宜上使つてゐるのですが、シュール的な人達の流れて行く先きは結局新ロマンチシズムぢやないかと思ひますね」(注15)。このように見ていくと、小川原をはじめ、当時日本でシュルレアリスムの影響を受けたとされる画家たちは、必ずしもシュルレアリスムの思想に忠実たろうとしたのではなく、別の関心からシュルレアリスムに近づいたと解釈できる。つまり、閉塞した想郷への憧憬のひとつのかたちとして、古代のイメージを作品の中に忍び込ませたのではないかと推察できるのである(注16)。この視点に立つならば、彼らの作品をシュルレアリスムの表面的な模倣と断ずる批判は的外れということになる。むしろ広義の浪漫主義(古典的憧憬を伴った)と見なすことによって、彼らの作品は新しい意味を帯び始めるにちがいない。おわりに昭和戦前期の洋画を、古典主義と浪漫主義との独特な混清という視点から捉え直してみると、これまで対立的に捉えられていた「前衛/伝統」の関係を相対化することができる。「伝統Jの中にもさまざまなベクトルがあり、「前衛Jの中にも「古典」への「浪漫J的憧憬があったことが見えてくるのである。さらに、これまでシュルレアリスムの表面的模倣と見なされてきた作品も、この観点から再評価することが可能である。だが、重要なのは、古典主義と浪漫主義の混滑様式に新しい名前をつけることではなく、「古典」への「浪漫」的憧憬が反語的に語る近代批判の内実を明らかにすることであろう。さらに詳細な調査分析によって、これら「古典主義」「浪漫主義」とネガ/ポジの関係にある、日本における近代の意味を明らかにしていく必要がある。-156 -

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