鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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注(1) テオフィルス『さまざまの技能について]、森洋編訳、中央公論美術出版、1996年。(2) チェンニーノ・チェンニーニ『絵画術の書』、辻茂編訳、岩波書店、1991年。43)。しかしこの感覚は時代が移り変わり、三次元的にボリュームのある立体的で自44)。行で生じた材料の選択であったと考える。テオフィルスの第1巻27章に、錫箔の上によく挽いた顔料とリンシード油で描く「透明画(picturatranslucida)」があるが、これは効果としてエマイユのような輝きと透明感を備えていたであろう。銀箔とメッカの技法も、地は白のほうがより光を反射して明るい金色にきれいに輝いたと思われる。このエマイユのような効果が、当時の絵画技法に一貰した特質であった。典型的な絵具の塗り方として、まず第一層は鉛白を混ぜた不透明の被覆力のある下塗り、次に似た色でも媒剤の多く透明なレーキのような色をその上にかけることで、透明感ある輝きをもつ色を作り上げたのである(注然な表現が好まれ、純粋な色の配置ではなく白を混ぜた明暗のグラデーションが用いられるようになるとともに、この技法は消えてゆく。これは、M.チャッティがボーロの普及はヴェルダッチオの広まりの時期と一致すると考察したことにも通じる(注緑土は磨いたり刻印を打ったりするためには向いておらず、事実ジョットの作品には線刻はあるが刻印はほとんど見られない。今回緑土を発見した作品はすべて14世紀のジョット周辺の画家によるものであり、祭壇画の中心となる聖母子像などではなく、プレデッラやタペストリー模様など=次的な部分に使用される傾向にあった。緑土の使用は、上に貼る箔に冷たい色調を与えることを考えると、他の金地と何らかの違いをつける意図があったのではないかと思われる。作品の損傷、劣化や後世の修復などにより、作品のオリジナルの状態を想像することは容易ではないが、金の色を「金」の一言で片付けることはできない。当時の画家たちは、繊細な感覚と技術により、金の色調と効果を巧みに使い分けていたのである。謝辞フィレンツェ国立修復機関における研修、及び本論文作成に御教示頂いた当機関の美術史家チェチリア・フロシニーニ氏と修復師ロベルト・ベッルッチ氏、そして論文執筆の御指導を頂いた愛知県立芸術大学の森田義之教授に心より感謝申し上げます。-8 -

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