鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
172/598

カピネソト(1729)のウィレム・ファン・ミーリスの伝記に、このコレクター、ヨハン・ヘンド3.コレクターの視点:ファン・ウァッセナー伯爵の絵画収集と注文成の類似である。両者とも、画面左側にある遠近法の消失点にむかってカウンターと売り手の背後の壁と棚が斜め描かれ、奥行きを構成している。画面右に品物が詰まった棚が見られるこの構図はダウの他の店舗画には見られず、この作品特有の要素といえる(注7)。それがウィレム・ファン・ミーリスの《雑貨商》に継承された事実は、前者が何らかの形で後者の直接的手本であった可能性を示唆するだろう。では、このダウの《雑貨商》は実際にウィレム・ファン・ミーリスの手本になりえたのだろうか。この作品は、ウィレム・ファン・ミーリスが《雑貨商》を制作した当時、おそらく、レイデン有数の芸術コレクターで、かつ17世紀末からウィレム・ファン・ミーリスのパトロンであったピーテル・デ・ラ・クールト・ファン・デル・フォールト(1664-1739)のもとにあったと考えられる(注8)。1731年の彼の絵画目録によれば、ダウのこの作品は、このパトロンの邸宅の絵画展示室の北側の壁に、ダウの《夜間学校》〔図3〕、ウィレム・ファン・ミーリスの《聖家族》〔図4〕などとともに飾られていた(注9)。ウィレム・ファン・ミーリスが、彼のもとでこのダウの作品を見て、自分の作品と並んで掛けられていたレイデン精緻画派の偉大なる先人の作品に触発された可能性は高い。さらにこうした状況に加え、彼の父であり師でもあるフランス・ファン・ミーリスの唯一の店舗画《布屋》の国際的名声は、ウィレムがこの題材をとくに重視する契機になったに違いない。1660年、ウイーンの大公レオポルド・ヴィルヘルムに破格の高額で購入されたこの《布屋》は、精緻な描写で高い評判をよび、1675年にヨアヒム・フォン・ザンドラルト、1699年にロジェ・ド・ピールにその著で称賛されたのを契機に、フランス・ファン・ミーリスの代表作として国内外に知られるようになっていたのである(注10)。富裕なパトロンの邸宅に掛けられたダウの《雑貨商》、人口に謄灸する父の傑作〈布屋》、レイデン精緻画派としての自覚。こうした状況で、ウィレム・ファン・ミーリスの作品は、1710年代初めよりファン・ウァッセナーに次々と高値で買い上げられていく。そうしたなか、問題の《雑貨商》の制作にいたるのであり、その際、ウィレム・ファン・ミーリスがダウの《雑貨商》を手本にした可能性はさらに説得力を帯びてくるのである。ヤコブ・カンポ・ウェイエルマンの『ネーデルラントの画家・女流画家列伝』リック・ファン・ウァッセナー・オブダム(1683-1745)が登場する。「ファン・ウァ-163 -

元のページ  ../index.html#172

このブックを見る