カピネット4. 17懺紀を振り返る画家とコレクターファン・ウァッセナーは、明らかに17世紀ダウの店舗画を好み、高く評価し、どうにかして手に入れようとしており、そして、それこそが、ウィレム・ファン・ミーリスの〈雑貨商》の注文の背景になったと考えられるのである。最初の商談がいつであったかは不明だが、いずれにしても、彼が、自分がひいきとする画家ウィレム・ファン・ミーリスのバトロンが持つダウの〈雑貨商》に魅了され、それに類似した《雑貨商》をウィレム・ファン・ミーリスに制作させた可能性は十分にあるだろう。さらにこの記載からは、ダウの店舗画が、複数のコレクターに膨大な金額を提示させるほど人気が高かった事実も明らかである。「パラダイスと呼ばれる前述の2番目の作品」とは、ピーテル・パウル・ルーベンスとヤン・ブリューゲル(父)共作の〈原罪を犯すアダムとエヴァのいる楽園》〔図5〕のことであり、1731年時点で5000ギルダーというコレクション作品随一の見積もりだった(注16)。この作品とダウの《雑貨商》は、前述した他の作品とともに絵画展示室の北側の壁に掛けられ、訪れるコレクターの称賛を受けていたのである。また、この記述が所蔵主の誇張でないことは、例えば1716年のアムステルダムの競売でダウの他の店舗画が1200ギルダーの高値で落札されたことからもわかる(注17)。こうして、ファン・ウァッセナーによる《雑貨商》の購入は、当時のコレクターの間で17世紀ダウの店舗画が人気を集め、彼らが競売や商談を通して収集に励むという現実に裏打ちされていたのである。このように17世紀ダウの店舗画は、ウィレム・ファン・ミーリスとってレイデン精緻画派の倣うべき手本であり、ファン・ウァッセナーにとっては、コレクターの注目度の高い、手に入れがた<魅力的な作品であった。そしていわば、17世紀美術を受容しようとするこの両者の力が相互に作用しあって、ウィレム・ファン・ミーリスの新たな〈雑貨商》が18世紀前半に生み出されたのである。もっともこの一例は、当時の風俗両制作とコレクションをめぐる状況の氷山の一角にすぎない。当時、多くのコレクターは、過ぎ去らんとする17世紀の作品の収集に熟をあげ、ダウやフランス・ファン・ミーリスなど17世紀風俗画の作品は人気が高まり、値が数倍にも跳ね上がっていた(注18)。ウィレム・ファン・ミーリスが、古典主義的作風の物語画〔図4〕で成功を収める一方、ダウの題材を忠実に継承した店舗画を生涯描き続けたのも、レイデン精緻画派としての立場を常に意識した戦略であったといえよう。だが、このように考えてくると、ひとつの重要な問題が残る。それは、18世紀初頭の風俗画は17世紀風俗画の安価な「代用品」だったのか、という問題である。この問-165 -
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