鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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スナガル出士の如意樹(kalpavrk~a)柱頭にみられる〔図l〕。ここで如意樹はバンヤ1.インドにおけるパドマニデイ、シャンカニデイの成立ここに北インドと南インドにおけるヤクシャの受容の相違がみられる。このような見通しの下、本稿では2004年2月24日〜3月4日にインド、タミル・ナードゥ州およびスリランカで行った実地調査を含め、現存作例に基づき、インドからスリランカに至るパドマニデイ・シャンカニデイの図像を整理し、その形成と展開を跡付ける。またパドマニデイ、シャンカニデイの機能と象徴性についてもデッカン地方を含む南インドおよびスリランカに展開した王朝の寺院造営とも関連づけて、その様相を明らかにする。さらに王朝が関わる寺院造営と関連づけることにより、これまで注目されていなかった王朝におけるヤクシャ像の受容の様相が浮き彫りとなる。それでは、まず財宝を象徴する「ニデイnidhi」に関して、その成立についてみてみたい。前述のように財宝の象徴である「ニデイ」は本来ヤクシャの首領である財宝神クベーラが有する財宝のことを指す。問題となる「パドマ(蓮華)ニデイ、シャンカ(法螺貝)ニデイ」はその中でもクベーラの脊属とされ、『ラーマーヤナ』や詩聖カーリダーサの『メーガドゥータ(雲の使者)』にも言及され、後述するようにその造形はデッカン地方以南において多くの作例が観察される。そこで、その成立をみてみると、その初見はシュンガ時代にまで遡れる。それはシュンガ時代(前2世紀末〜前1世紀)の中インド、サーンチー近郊のベーン(ニヤグローダ)樹で表され、クマーラスワーミーにより、この樹はクベーラの祠堂と比定されている(注3)。その根拠として氏は枝に吊るされた貨幣の生じる蓮華(パドマ)や法螺貝(シャンカ)がクベーラの財宝であるパドマニデイ、シャンカニデイと同定した。また、この中には貨幣が充満した財布もみられ、このような財宝を象徴するモティーフが認められることからも、この如意樹はクベーラの祠堂とみて相違ないであろう。本作例では財宝(貨幣)が蓮華および法螺貝そのものから生じる表現となっている。しかしながら、シュンガ時代の「如意樹柱頭」〔図1〕以降、インドにおいてパドマニデイ、シャンカニデイの作例は中インドでは確認されていない。しかしながら、紀元後3■ 4世紀以降、デッカン地方を含む南インドにおいてニデイの造形、特にここで問題となるパドマニデイ、シャンカニディが新たな段階を迎える。すなわち、人格化による造形が登場する。まず南インド、アーンドラ地方のイクシュヴァーク朝のナーガールジュナコンダにおいて人格化したパドマニデイ、シャンカニディが確認できる。-174 -

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