鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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2.デッカン地方以南のパドマニデイ・シャンカニデイの展開この二像〔図2〕は小人型いわゆるガナ型のヤクシャの姿(丸彫)で表され、それに財宝に関わる図像が付加される。そこで像の各頭飾を注目してみたい。まず向かって左像は巻貝状の帽子を被り、その頂きからコインの束状のものが垂下し、その先端を左手で持っている。一方、右像は下方に反花のある口重の蓮華の冠り物で、その頂きからコインの束状のものが垂下し、右手で持っている。この二像が被る頭が左像は巻貝状のもの、すなわち法螺貝、右像が蓮華を象ったものである。よって、左像がシャンカニデイ、右像がパドマニディを人格化した造形とみられる。また頭頂から生じる束状のコインは守門像に特徴的な持物である枇棒のようにも見え、コインという財宝と守門の持つ椙棒の二重のイメージが造形的に反映されている。この両像は身体の向きからみて、一対として造形されたことは相違なく、守門像としても機能していたことが窺える。このことはその後のパドマニデイ、シャンカニデイの展開を考える上でも、示唆に富むものと言えよう。すなわち、上記のナーガールジュナコンダの作例以降、この両ニディ像は、いずれも一対として造形され、守門像および守護神像として受容され展開する。南インドにおいて財宝系ヤクシャ像は、まさにパドマニデイ、シャンカニデイの人格化がその出発点となっている。さらに後3■ 4世紀以降、パドマニデイ、シャンカニディ以外にも、デッカン地方を中心に財宝を人格化したニディ像がアジャンターの後期石窟や東ヴァーカータカ朝のヒンドゥー寺院(注4)においては石窟の守護神や装飾モティーフの中に観察され、デッカン地方を中心に財宝系ヤクシャ像としての地位を確立した。ーデッカン・タミル両地方の事例一以上インドにおけるパドマニデイ、シャンカニデイの造形の成立についてみた。次にこれらニディ像の組合せ(パドマ・シャンカ)はインドにおいてどのように展開し、造形化されたかをみてみたい。ここではパドマニデイ、シャンカニデイの南インド、特にデッカン地方、タミル地方の両地域の事例に基づき、その展開を探っていく。前述のように守門像あるいは守護神像としてのパドマニデイ・シャンカニデイの両像は後3■ 4世紀の南インド、アーンドラ地方において人体像をもって成立した。しかしながら、続く後5世紀の一世紀間はデッカン高原を中心に財宝を象徴するニデイ像は認められるものの、厳密にパドマニデイ、シャンカニデイに特定される像例は確認できない。その一世紀の空白の後、6世紀以降、パドマニデイ、シャンカニデイの像例は再び-175 -

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