鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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p. 194所収、図74に筆者が加筆したものである。〔図版典拠〕本稿で用いた図版は図3以外は筆者によるものである。図3はG.ミソチェル著、神谷武夫訳『ヒンドゥ教の建築ヒンドゥ寺院の意味と形態』鹿島出版会、1993年、(6) Meister, W. M. & Dhaky, M.A., Encyclopaedia of Indian Temple Architecture, South India Upper Dravi1adesa Early phase, A.D. 550-1075, 1986, p. 78. (7) 注(5)参照。(8) 外側の楼門の入口の二像については、現在向かって左の像(シャンカ)しか残ってないが、この像と対となる像(パドマ)が寺院の回廊に付属する博物館(収蔵庫)の中に確認された。(9) Sivaramamurti, C., Sanskrit Literature and Art-Mirrors of Indian Culture -(M.A.S.I. no. 73), 1955, p 11, pl.V.13. (10) チョーラ朝以前のニディ像と王朝を結びつける遺構としてアジャンター第二窟の後廊の左祠堂のニャクシャ(ニデイ)祠堂が挙げられる。これについては拙稿「アジャンター第2窟後廊左右祠堂のヤクシャ像についてー王朝とヤクシャ信仰をめぐる問題ー」『密教図像』第22号、2003年、pp.48-62.参照。(11) スリランカのガードストーンについては次を参照されたい。Devendra,D. T., "The Symbol of the Sinhalese Guardstone," Artibus Asiae, vol.XX!, 1958, pp. 259-268. (12) スリランカのパドマ、シャンカニデイの作例、研究については次を参照されたい。Prematilleke,L., "Identity and Significance of the Object held by the Dwarfs in the Guardstones of Ancient Ceylon," Artibus Asiae, vol. XXVIII, 1966, pp. 155-161. -181 -

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