よと3月ヒ、Cヽ• 1970年代初頭におけるコンセプチュアル・アートの受容言説の様態護する立場からは、引き続きキュビスムの画家としての評価が語られることとなるが、一方で「自由なる精神の発露」の言葉のもとにシュルレアリスム的な解釈がこの時期に登場する。逆に1950年代には、第二次世界大戦後のアメリカにおいてダダの再評価の機運が高まり、デュシャンは「偉大なる反芸術家」として受容され、画家としてのデュシャンは完全に忘れられてしまう。この流れは、50年代後半の「ネオ・ダダ」あるいは60年代初頭の「ポップ・アート」の出現によって加速化されることとなる。この時代、デュシャンを批判する者の目には、かつてキュビスム絵画の良き例証であった《階段を降りる裸体No.2》は、もはや最良の絵画ではなく、レデイ・メイドと同じく「スキャンダラスであることだけを目指したもの」でしかない。デュシャンがもはや属することができないキュビスムから抽象表現主義へと至る真正な絵画の流れと、デュシャンが属すると目されるダダ、シュルレアリスムからネオ・ダダ、ポップ・アートヘと至る反芸術的傾向との二極分化が顕著になるわけである(注1)。この二極分化を「作品における概念」を軸にして統合させようとしたのが60年代末期に登場するコンセプチュアル・アートである。コンセプチュアル・アートは、言語を作品の主要素とし、作者の概念や意図を鑑賞者に伝達して鑑賞者の思索を促すことを主眼とした芸術実践である。コンセプチュアル・アートにおいては、感覚としての視覚と認識、美術を取り巻く制度、美的要素と言語的要素の関係、他者とのコミュニケーションなどが、実践的に問題とされる。1970年代、コンセプチュアル・アートは世界の美術の趨勢を担うほどの勢いをもつこととなる。その流れの中で、デュシャンの受容様態もコンセプチュアル・アートとの関係を軸としながら変化を見せていくことになる。それゆえ、コンセプチュアル・アートの批判あるいは擁護の論法において、コンセプチュアル・アートそのものはどのように受容され、またその関係においてデュシャンはどのように位置づけられることになるのか、をあわせて考察せねばならない。つまり、本論において問題の争点となるべきものは、・コンセプチュアル・アートとマルセル・デュシャンとの関係性についての言説の様・コンセプチュアル・アートが時代の趨勢となった文脈を背景とした中でのデュシャン受容の言説ル・アートとマルセル・デュシャンという二つの軸に複雑に関係しながら展開しているものであることは言うまでもないであろう。これらの問題をこれから順を追って詳の3点である。以上三つの争点は個別に存在しているわけではなく、コンセプチュア-186 -
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