鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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4.思索者としてのデュシャン1970年にアルトゥーロ・シュワルツによるデュシャンのカタログ・レゾネが出版さ8)。ゆえに、選択行為を導き出す作者内部の「概念」を最重要視した実践と理解される。この理解そのものの正否についてはここでは問わない。確認しておかなければならないことは、デュシャンのレデイ・メイドは、便器や瓶乾燥器という個別の事物において(たとえ実例として出されるとしても)論じられるわけではなく、「レデイ・メイド」という名の実践の方法論が、「概念」として理解されたということである。そのことは、恐らく、コンセプチュアル・アートが、個々の実践に関する形式的な処理のレヴェルで様々な問題にぶつからざるをえなかったという状況と一致していると考えることは可能であろう。この段階において、デュシャンが何を考えて便器や瓶乾燥器をレデイ・メイドとして選択したかは問題とされることはない。「レデイ・メイド」は総体として「概念による」芸術を支える先駆的実践あるいは、形式的十全さを伴わない作品傾向の悪しき源流として受容されることとなるのである。さらに興味深いことに、コンセプチュアル・アートとの直接的な関連においては、デュシャンの思索について語られることはほとんどない。〈大ガラス》のために残された膨大なノートに記されたデュシャンの思索の軌跡は、コンセプチュアル・アートの核にある「概念」とは異質のものとして理解されたかのようである。コンセプチュアル・アートを巡る視線は、デュシャンのレデイ・メイドを捉えても彼の他の実践を捉えることはなかった(あるいは意図的に視線から排除したとも考えられる)(注このようなコンセプチュアル・アートを巡る文脈を背景として、デュシャン自体の受容はまた別種の変化へと向かうことになる。つまり、形式と概念の奇跡的な結合として、デュシャンの作品を読む視線の出現である。それは、形式と概念の調停不可能性に苦慮していたコンセプチュアル・アートの文脈に真っ向から対立するかのようなデュシャン理解であるが、実のところ、概念を作品の核に据えるコンセプチュアル・アートの出現に逆説的に支えられた受容の様態でもある。れた。そのレゾネに掲載されたシュワルツの論文の主眼は、デュシャンの活動を妹シュザンヌヘの抑圧された近親相姦願望と錬金術的思考によって読み解くというものであった(注9)。恐らくはこれをきっかけとして、またデュシャンが亡くなり「過去の人」となったことによって可能となった「美術史的解釈」の始まりによって、デュ-189 -

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