シャンの活動への分析的アプローチが盛んになっていく。中でも1970年代前半に盛んになったのは、デュシャンの活動、特に《大ガラス》を巡って、作品の「隠された」意味を暴き出そうとする動きであった。とりわけ前出のジャック・バーナムは「連合を暴く」(注10)「真のレデイ・メイド?」(注11)「裸にされたデュシャンの花嫁」(注12)という論考を立て続けに発表した。バーナムはデュシャンの活動を次のように規定している。デュシャンが芸術で勝利を勝ち取ったのは、文学・哲学・文化人類学・言語学への理解、とりわけ古代エジプトの宗教や科学、カバラのダイアグラム、タロット・カードの含意、天文学や錬金術の真の目的、フリーメーソンの儀式と目標を含む西洋の魔術の諸漉泉を解読することによってである(注13)。バーナムは、この規定を出発点として錬金術的・カバラ的な象徴体系とソシュール言語学を結びつけた構造分析的手法によってデュシャンの作品を読み解いていく。そしてデュシャン=錬金術師という図式を作り上げる。デュシャンの強さというものは、真の錬金術師としての彼の能力にある。つまり、彼は下級素材を黄金あるいは文化的に金と等しいものに変容させる秘密を知っている人物なのである(注14)。デュシャンと錬金術との関係は、デュシャン自身が生前に否定していることもあって、今も正当な地位を与えられているわけではないし、我々もその象徴的な照応関係を洗い直そうと思っているわけではない。ここで重要なことは「錬金術師としてのデュシャン」という図式が、何を前提としているかということである。つまり、実際の作品細部が錬金術的な記号体系とどのように一致しているかではなく、「錬金術師」という名で語られている存在は比喩的にどのように機能しているか、ということである。バーナムの分析によれば、デュシャンの作品、とくに《大ガラス》において、形式的な諸要素はある体系に基づいて配列され緊密な連関を有している。それによって世界の根元的理解へと向かう象徴体系が成立している。バーナムのこの理解は、先のコンセプチュアル・アート分析で彼が述べた「障害としての形式」とは逆のベクトルを指し示している。つまり、デュシャンにおいては、(魔術的解釈を背景とした)深遠-190 -
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