p.37 (1) コンセプチュアル・アートまでのマルセル・デュシャン受容の変遷については、拙稿「戦後アメリカ美術とデュシャン受容の言説の関係」博士号取得論文(京都大学),2004年を参照のこ(2) Jack Burnham "Alice's Head: Reflections on Conceptual Art" in Artforum, \Toi. 8 No. 6 (Feb. 1970) (3) ジョゼフ・コスースは、辞書の定義を拡大印刷したパネルを作品として使用していたが、その「形式」がポップ・アートと関連づけられて解釈されたため、その使用をやめたという逸話が残っている。(4) Max Kozloff "The Trouble with Art-as-Idea" in Artforum Vol.11 No. 1 (Sept. 1972) p. 36 (5) Robert O'Rorke "Into the Twilight Zone" in Art & Artists Vol. 8 No. 3 (June 1973) p. 8 (6) James Collins'Things and Theories" inArtforum Vol.11 No. 9 (May 1973) p. 33 (7) Joseph Kosuth, Art after Philosophy and After: Collected Writings, 1966-1990 (Massachusetts: The MIT Press, 1993) て記述する論考を1971年に発表しているが、そこでは錬金術は「世界を発見する方法」として禅と同一視さえされている(注17)。ヤングにせよバーナムにせよドミンゴにせよ、あるいは他の当時の意味論的分析にせよ、それがどのような「前提」でデュシャンを解釈しようとも、いずれにせよ、この時期のデュシャン受容は、作品の「意味」へと向かったことは共通している。それは何度も言うように、形式主義的作品理解から脱却するために「概念」を優先させたコンセプチュアル・アートの興隆という文脈を背景としている。おそらくは、デュシャン作品の「秘められた意味」が理解されるということは、コンセプチュアル・アートの展開に寄与すると考えられていたかもしれない。それはまぎれもなく作品形式の奥に存在する「概念」に注意を向けようとするものであるからだ。しかしながら、結果的にこの受容様態は、デュシャンとコンセプチュアル・アートを乖離させるものとなるであろう。それは「概念Jに対して「形式」がどのように機能しているかにおける差異によって。1968年に亡くなったデュシャンにとって1970年代は、回顧の時代である。1973年から74年にかけてフィラデルフィア美術館とニューヨーク近代美術館で回顧展が開かれ、1977年にはパリの国立近代美術館の開館展としてやはり回顧展が開かれている。デュシャンはコンセプチュアル・アートの出現と前後するように批評の対象から、研究の対象へと移行したようである。第二次世界大戦後の美術の展開において、様々な動きの先駆として言及され続けてきたデュシャンは、コンセプチュアル・アートとの分岐点を見出されることによって、ようやくアクチュアルな存在から美術史の中へと身を移すこととなったのである。l王と-192 -
元のページ ../index.html#201