鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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2)オランダ国立民族学博物館所蔵のインドネシアの漆器と琉球漆器1837年に長崎出島商館の医師フィリップ・フランク・フォン・シーボルト(1796■1866)によってライデンに設立された、世界初の民族学博物館である。当初は個人博タ・ユは寺院の供物具や宮殿のお道具類などによく用いられているが、大理石との関わりはあまり知られていない。炎天下の屋外で、巨大な大理石と取り組んで行われる漆芸は圧巻である〔図6J。三つ目の産地がサカイン管区の北チャウカ村である。マンダレーから西100キロほどのこの村は、パガンと並ぶ漆器産地である。しかし、パガンのような観光資源はなく、かろうじて地元の門前町に並ぶ漆器を生産するのみである。筆者は、平成5年と7年に引き続き今回は3度目の訪問となる。平成5年の調査では供物具の製作で活気のあったコン・ミュン・チョン(34歳)さんの工房が、本調査では開店休業状態になっていた。コンさんによると、70■80年前の祖父の代には、村中が漆器製作に関わっていたが、現在では500軒中14、5軒にまで減少してしまったとのこと。コンさんの紹介で、村一番の捲胎素地職人のクウ・チャウ・インさん(39歳)を紹介してもらった。20年のベテラン職人のクウさんは、カーブの深い足付き盆を、スケッチを見ながらものの数分の内に捲き上げ成形した。オランダ国立民族学博物館・ライデン(Rijksmuseumvoor V olkenkunde, Leiden)は、物館として出発したが、1883年からは国立博物館となる。シーボルトの琉球関係資料は広く知られるが、同館はその他商館長ヤン・コック・プロムホフ(1779■1853)の琉球関係資料を所蔵する(注3)。これらの資料は、廃藩置県や今次大戦で多くの資料を消失した琉球にとっては、記録を伴う貴重な資料群である。筆者が最初に同館の調査を行ったのは、平成8年(1996)である。美術館連絡協議会のサポートでドイツ、イギリス、フランスなどに所在する東南アジア漆器調査の一貫として同館も調査した(注2)。その際「SumatoraPalenbung(スマトラパレンバン)」いわゆるインドネシアの漆器を多数確認し、筆者は驚愕した。当時東南アジア島嶼部の漆器については、ほとんど言及されていなかった。植生的にも漆樹の存在は考えられず是非再調査を行いたいと考えていた。幸い今回の調査は、日本担当のマティ・フォラー博士やケン・フォス学芸員の大きな協力の下で行われ、大きな成果を得ることができた〔図7〕。インドネシアの漆器は常設展示はなく、今回の調査はライデンの南60キロのスラブソンの収蔵庫で行った。調査はインドネシア漆器29点で、いずれも「Sumatora-209 --

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