鹿島美術研究 年報第21号別冊(2004)
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⑳ 日本近代洋画における「五感」の表現研究者:佐賀県立美術館学芸課長松本誠一はじめに日本近代洋画史において、白馬会から東京美術学校西洋画科へとつらなる画家たちについては、個々の作品研究は枚挙するに退ないものの、それら全体を俯轍的に見通すような視点についてはいまだ不十分であると言わざるを得ない。日本の近代洋画史の初頭、そもそもの出発点にあったリアリズムは、その後の画家たちによってどのような変質を被ることになったのか。そしてこのリアリズムの変質こそが、洋画界にあって一方の旗頭を担った白馬会系の画家たちを特徴づけていたと言えるのではないか。本稿はこのリアリズムの変質について、日本近代洋画における「感覚」表現から考察しようとするものである。なぜならばこの「感覚」表現の登場こそが、日本近代洋画におけるリアリズムを変容させることになった表現形態ではなかったのかというのが私の推察しているところであり、このことについて、岡田三郎助さらには藤島武=らの作品を通して考えようとするものである(注1)。とくに啓蒙的先駆者の黒田清輝、久米桂一郎らの理念を受け継ぎ、その後の美術界において官学的立場の指導者であった彼らを対比的に見るとき、さきに述べたリアリズムの変質が明瞭になってくると思われる。さらに、ここにいう感覚表現とは人間の五感をモチーフとして絵両化することの謂である。この五感が描写対象となることで、端的に人間の情動表現が作品の主題となってくるが、このことが意味するものは、絵画の「近代」性の表明であり、また絵画の表現的性格のあらわれであったと考える。以上を通じて、日本近代洋画におけるリアリズムの深層に潜められた内実と、そこに含意された近代的特質について考察する。前提_ー感覚論からみた五感絵画は視覚藝術であり、描くという行為は人間の伝統的な五つの感覚のうち、とりわけ視覚にかかわる創造行為である。それに対して、他の四つの感覚すなわち聴覚、嗅覚、味覚、触覚は、一般に、人間の生活においてはいずれも視覚から離れた、いわば孤立した感覚作用ではなく、それぞれが協働しながら、すなわち感覚組織の統合によってひとつの効果をあらわしている。現代心理学でいうところの「視覚優位の統合」がこれであり、視覚という安定した感覚は、圧倒的な情報量のもと「他の感覚情報に-217 -

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