11)「近接感覚の喜び」(注12)の世界を生きることになるのである。手で描くのであって、眼で描くのではないのである。(中略)人が描くものは描かれ得るものであって、何ぴともそれ以上のことはなし得ない。そして描かれ得るものは、それを描く筋肉の活動と何らかの関係に立っている」(注10)と述べ、さらにバーナード・ベレンソンが「触覚的価値」と呼んだものを絵画のなかに見いだすのである。こうして、触覚の回復は近代世界に特徴的なこととなり、それとともに他の諸感覚も視覚的な藝術の世界に導き入れられる。まさしく近代は「視覚の神話をこえて」(注絵画が、カンヴァスという二次元上での視覚形式にもとづくイリュージョン藝術の長い歴史をもつ一方で、その再現藝術においてさえ、観者にとって、絵画は視覚の楽しみという以外の他の諸感覚をも呼び覚ますようなリアリティをもったイメージである。このことをベレンソンに従えば、想像上の感党、感覚のイメージとしての「表象になった感覚」(注13)と言ってもよいが、ここにおいて、視覚藝術である絵画は聴覚、嗅覚、味覚、触覚をも表現しうると言えるのであった。設問と研究史日本の近代洋画において、明治のはじめ、事と物の「真」を描こうとした洋画家たちは、写真(明治20年代以降、「写実Jに置きかわる(注14))という表現手法によって、描こうとするものの「そのものらしさ」を追い求めた。そこに描かれた対象は、たとえば高橋由一の《鮭》〔図1〕にみるように、半身に切りひらかれて、口から通された荒縄に吊り下げられた塩鮭の表現が、作品を見るものの心理にさまざまな感情を呼び起こし、やがてそれは芳賀徹氏が言うように「大きな安らぎにも似た感動J(注15)となって打ち寄せてくる。つきに、ここに対比すべき作品として、藤島武二の《うつつ》〔図2〕について見てみる。この作品は大正2年(1913)に描かれており、第7回文展に出品された。由ーの〈鮭》が描かれた明治10年頃から、40年ちかくの年数の経過があるが、二点の作品の質には大きな隔たりがあることを感じさせる。ただし、それらの作品はともにベレンソン流に言えば触覚的イメージの悦びを与えている。しかし、高橋由ーから藤島武二まで、すなわち日本の近代洋画の本流において変化したものは、藤島の作品にみるように、この触覚的なイメージから喚起される「気分」の表現であったようである。そして、さらに表現され得たものは、「触覚」の気分が拡がり漂う表現のみではなく、それらは嗅覚であり、聴覚であり、ときに味覚という五感のそれぞれの感覚であった。--219 -
元のページ ../index.html#228